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大阪高等裁判所 昭和53年(ネ)1500号 判決

第一四九〇号事件控訴人・第一五〇〇号事件被控訴人(一審原告) 丸玉観光株式会社

第一四九〇号事件被控訴人・第一五〇〇号事件控訴人(一審被告) 国

代理人 遠藤きみ 山口三夫 古川悌二 井上勝比佐 ほか三名

主文

一  第一審被告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

二  第一審被告は、第一審原告に対し金一六八二万四九三四円及びこれに対する昭和四一年三月三〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  第一審原告のその余の請求(当審における拡張部分を含む)を棄却する。

四  第一審原告の控訴を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じて一〇分し、その九を第一審原告の負担とし、その余を第一審被告の負担とする。

六  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  第一審原告

(第一四九〇号事件について)

1 原判決を次のとおり変更する。

2 第一審被告は、第一審原告に対し金五億二〇〇〇万円及びこれに対する昭和二八年一二月三一日から右支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。(右昭和二八年一二月三一日から同四一年三月二九日まで年五分の割合による金員は当審での請求の拡張部分である。)

3 訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告の負担とする。

4 仮執行の宣言

(第一五〇〇号事件について)

第一審被告の控訴を棄却する。

二  第一審被告

(第一四九〇号事件について)

1 第一審原告の控訴を棄却する。

2 控訴費用は、第一審原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言

(第一五〇〇号事件について)

1 原判決中、第一審被告敗訴部分を取り消す。

2 第一審原告の請求(当審での拡張部分を含む)を棄却する。

3 控訴費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

第二当事者双方の主張並びに証拠関係は、次に訂正付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一1  原判決四枚目裏九行目末尾に「右コの字型の東側は、建物と別個の隣地所有者所有の煉瓦造防火壁に面して自己の壁はなく、戦災により残存したのは、東側の右防火壁と西側の建物コンクリート壁と北側のコンクリート柱六本とこの六本の外側にあつて建物と別個の造り物である装飾壁のコンクリート柱九本のみであつた。故にこの残存物をコの字型の残骸が残存したという云い方をするならば、コの字の東の辺及び北側のコンクリート柱一五本うち装飾壁のコンクリート柱九本は元来の建物とは別個のものであり、且北側は合計一五本のコンクリート柱が林立しているのみで壁ではない意味でのコの字型というべきである。」を加える。

2  同七枚目裏一二行目「コの字型」を「北側のコンクリート柱、西側のコンクリート壁及びこの建物とは別個の朝日座の防火壁によつて構成されるコの字型残骸」に改める。

3  同八枚目裏一二行目末尾に「しかも、第一審被告はこの差押を長年月解除しなかつた。」を加える。

4  同九枚目裏二行目末尾に「第一審原告副社長木下一郎は、昭和二六年一二月頃及び同二七年秋頃、東住吉税務署に赴き、係官に土地及びコンクリート残存物件が第一審原告の所有であること及びこれを認めてもらわなければ計画中の建替ビル新築のできないことを述べ、さらに前訴における第一審原告の訴訟代理人弁護士鈴木八郎は、くりかえして前訴の(イ)昭和二八年七月二八日付訴状、(ロ)同年一一月一六日付準備書面、(ハ)同二九年六月八日付訴状訂正申立書で、本件差押が土地所有権行使の妨害となると述べ、この妨害とはビル新築の妨害以外には考えられないのであるから差押によるビル新築妨害による第一審原告の損害につき第一審被告は昭和二八年七月の差押当時は勿論その以後以前においてこれを知り或は十分知り得べかりしものである。なお右木下一郎が税務署係官に前記のような陳述をなしたこと及び前訴の訴状準備書面に繰返し前記のような記述のあることは、当時第一審原告がビル建築の意思とその能力を有したことの証左である。」を加える。

5  同九枚目裏七行目冒頭の「動産」の次に「、二億五〇〇〇万円と評価すべき営業権」を挿入し、同行目「銀行」の次に「等」を加える。

6  同九枚目裏八行目「昭和二八年」から同一一枚目表一一行目までを次のとおり改める。

「昭和二八年一〇月当時の第一審原告らの所有する不動産の価格は、左記の通り合計八億六六一四万三〇〇〇円以上である。この六割の五億一九六八万円の貸出可能額がある。既貸出額は一億一七二〇万円以下であるから、営業権を考えないで不動産価格のみから考えても十分の貸出担保余力があつた。その後も殊に遅くも昭和三一年まで何時でも第一審原告は、右主張のようなビルを建築する資金的余裕があつた。

道頓堀土地(原判決添付別紙第三表1ないし4) 一八二、七三六、〇〇〇円

橋本町自宅土地(同表6、7) 一〇、〇〇〇、〇〇〇円

四条丸玉および京都333土地(同表9、10、12、13、32、33、35、36) 二六九、一九〇、〇〇〇円

紅葉館土地(同表14ないし20、24) 七、二二二、〇〇〇円

晴嵐荘土地(同表27、28) 四、七三五、〇〇〇円

京都祗園土地(同表30) 一八、四六〇、〇〇〇円

橋本町自宅建物(同表8) 二〇、〇〇〇、〇〇〇円

紅葉館建物(同表21、22、23、25) 四九、二七〇、〇〇〇円

アイスパレス建物(同表26)と敷地措地権 二五〇、〇〇〇、〇〇〇円

晴嵐荘建物(同表29) 一九、五三〇、〇〇〇円

京都祗園建物(同表31) 一五、〇〇〇、〇〇〇円

京都333建物(同表34) 二〇、〇〇〇、〇〇〇円」

7  同一一枚目表一二行目の前行に次のとおり加える。

「(一)本件土地(道頓堀土地)の利用を阻害されたことによる損害(土地損害)

(1) この損害の意味と損害期間

本件土地の最有効使用方法は、全体として一個の高層レジヤー用ビル用地として利用することであつた。第一審原告は、昭和二八年一〇月頃建築請負契約を建築業者と締結して、同年一一月或は遅くも一二月初め着工し、約一〇か月半後の昭和二九年一〇月二〇日完成の計画でレジヤー用自己使用ビルを新築する予定であつた。この予定は、工期面でも又資金面でも実現可能であつたところ、昭和二八年七月第一審被告のなした差押により、この実行を不可能ならしめられたのである。

右予定の建築工事用としての本件土地の利用価値は、土地の更地としての賃料に相当するものであり、損害期間は、着工予定日の昭和二八年一二月一日より第一審原告が本件差押解除後地上に現実に新ビルの建築に着工し土地を現実にフル使用しはじめた昭和三八年八月一〇日の前日までである。

(2) 損害額

更地としての利用を全く阻害された損害額即ち各時点における更地地代相当額は、土地価格に期待利廻り六パーセントを乗じた額、公租公課、維持管理費(土地価格に期待利廻り六パーセントを乗じた額の二パーセント)の和であるから表にすれば次の通りである。

昭和

(年)

土地価格

(千円)

期待利廻りと維持管理費

(上欄の六・一二%円)

公租公課

(円)

損害額(千円未満切捨)

(千円)

備考

二八

一七九、三三四

一〇、九七五、二四〇

一二〇、〇〇〇

九二四

損害額は一か月分

二九

二〇八、四九四

一二、七五九、八三二

四八四、六八五

一三、二四四

三〇

二一二、三八二

一二、九九七、七七八

四六四、六六三

一三、四六二

三一

二二七、四四八

一三、九一九、八一七

四八一、二五九

一四、四〇一

三二

二二七、九三四

一三、九四九、五六〇

五三一、〇四四

一四、四八〇

三三

二五八、七九五

一五、八三八、二五四

五九五、七八八

一六、四三四

三四

三二〇、二七四

一九、六〇〇、七六八

五九五、七八八

二〇、一九六

三五

四一六、五〇二

二五、四八九、九二二

五九五、七八八

二六、〇八五

三六

四六三、八八七

二八、三八九、八八四

六五九、八九四

二九、〇四九

三七

五三一、四四一

三二、五二四、一八九

六五九、八九四

三三、一八四

三八

三三一、四四一

三二、五二四、一八九

六五九、八九四

二〇、一六〇

損害額は79/31か月分

(3) 第一審原告が土地を使用したことによる利益

第一審原告は、右(1)の損害期間中であつても従前の建物を使用しており、又昭和三六年三月一八日頃本件土地上に建築着手、同年九月一八日営業開始した木造平屋約四〇坪(建設費用約三〇〇〇万円)のイタリアンスナツクピツコロの建物を営業に使用した。そしてこれらの建物の使用は遅くも差押解除後第一審原告が新ビル建築工事に着手した昭和三八年八月一〇日の前日までであり、この限度において土地を使用したのであるから(2)の損害額よりこの土地使用利益を差引いたものが真の損害額である。

右土地使用利益を次のとおり計画する。

(イ) 新旧建物の表示

第一審原告が差押を受けた当時の建物は、木造トタン葺建物で、地階二八坪九八、一階一七八坪一七、中二階二三坪九二、二階五〇坪九二、屋階四九坪五、合計三三一坪四九であり、ピツコロは木造平家約四〇坪である。

一方、第一審原告が新築を予定していたビルは、鉄骨鉄筋コンクリート造地下一階地上八階、地階ないし五階各二四二坪、六階ないし八階各五五坪九、合計一、六一九坪七(吹抜部分約四一九坪七を含む)であり、一部を営業のための機械室事務室とする全くレジヤー営業用のビルである。以下これらの建物について使用価値を比較する。

(ロ) 新築予定ビルの使用価値

新築予定ビルには約四一九坪七の吸抜部分があるが、この吹抜部分は、吹抜として使用することが不適当となつたときは簡単に床を張つて使用することができるように設計されていたのであるから、これを全部床張にした場合、即ち床面積一、六一九坪七の場合と少くも同一の利用価値である。次に、階層別利用価値を見るに、レジヤー用本件予定ビルについて、各階層別の単位面積当りの効用度は、地階七〇、一階一一〇、二階九五、三階一二〇、四階五階各九〇、六ないし八階各八〇と認められる。よつてこの前記各階の坪数(吹抜部分を含む)に右効用度を乗ずれば、地階一六、九四〇、一階二六、六二〇、二階二二、九九〇、三階二九、〇四〇、四、五階各二一、七八〇、六、七、八階各四、四七二、合計一五二、五六六であり、これを一階の効用度一一〇で除せば一、三八六・九六となるので、この建物は一階一、三八六坪九六の建物と同一の利用価値と見るべきである。

(ハ) 旧建物およびピツコロ建物の使用価値

本件差押当時の旧建物は前記(イ)の如く床面積合計三三一坪四九で地階一階、中二階、二階、屋階の建物であるが、前記(イ)の階層別面積の配分およびその各階の用途から見てその使用価値は、一階部分一七八坪一七(実坪)、二階部分一五三坪三二(一階以外の実坪)と見ればむしろ高評価というべきである。そして前記階層別効用度一階一一〇、二階九五を適用すれば二階相当部分は一階一三二坪四一に相当し結局この建物の使用価値は、一階三一〇坪五八の建物に相当する。ピツコロは、一階四〇坪の利用価値である。

(ニ) 第一審原告の土地使用利益の計算

古い木造建物と新しい鉄筋コンクリート建物につき同一面積各一階の使用価値は後者の方が高いと思料せられるので、若しこれを同一と見れば前者を多少過大評価したこととなるのであろう。故に第一審原告の予定ビル建築着手予定日たる昭和二八年一二月一日よりピツコロ建築着手の前日たる昭和三六年三月一七日までの第一審原告の旧建物利用による土地利用度は右効用度により計算した一階としての坪数比一三八、六九六分の三一、〇五八以下であり、翌三月一八日より新ビル建設のためピツコロの取毀に着手した日の前日たる昭和三八年八月九日までの第一審原告の土地利用度は、一三八、六九六分の三五、〇五八以下である。この利用度によつて第一審原告の土地利用利益を計算すれば、月割計算として若干第一審原告の不利に調整し、ピツコロ建築着手までの期間を昭和二八年は一か月、昭和二九年より同三五年までは各一二か月、昭和三六年は三か月とし、ピツコロ建築着手後の期間を、昭和三六年は九か月、昭和三七年は一二か月、昭和三八年は七か月と9/31か月とし、(2)の賃料相当額(損害額)にこの期間に応ずる右土地利用度(ピツコロの前後により異なる)を乗じて第一審原告の土地利用利益を計算すれば、

昭和

月数

利益額(千円・千円未満切上)

二八

二〇七

二九

一二

二、九六六

三〇

三、〇一五

三一

三、二二五

三二

三、二四三

三三

三、六八一

三四

四、五二三

三五

五、八四二

三六

一、六二七

三六

五、五〇八

三七

一二

八、三八八

三八

七と9/31

五、〇九六

となる。

(4) 第一審原告の純損害

第一審原告の純損害は右(2)より(3)の(二)を差引いたものであるから、これを年別に算出すれば少くも本判決添付別紙A表のとおりであり、第一審被告はこの各損害額とこれに対する同表記載の損害金起算日以降年五分の損害金を第一審原告に賠償すべきである。

(二) 新築予定ビルを自家営業に使用し得なかつたことによる損害(建物損害)

(1) この損害の意味と損害期間

第一審原告は本件地上にビルを建てこれを自家営業に使用する予定であつた。このことは、第一審原告が無償で本件土地および地上ビルを使用することを意味し、この使用利益を得る筈であつた。この使用利益は一応家賃相当額と考えてよいが、家賃には実は土地使用の対価と家屋使用の対価が含まれているのでありこの二者を合算したものが家賃である。本件においてはこれを分離し、土地の使用を阻害された損害のみを(一)において主張したのであり、以下においてはこの予定ビル使用を阻害されたのみの損害を主張することとする。従つて損害期間はビル竣工予定日の翌日たる昭和二九年一〇月二一日より第一審原告が現実に代替ビルを使用し得るに至つた日の前日たる昭和三九年七月一四日までである。

右は、可能な資金繰りによつて昭和二八年着工、同二九年竣工の新ビル建築が可能であつたことを前提とするものである。

仮定的に遅くとも昭和三一年には全額自個資金によつて新ビルを建築しえたのであり、この場合に他にも投資したかは不確定であり、現実にはアイスパレス等に投資しているが、それは新築予定ビルとの単なる資金の振替ではない。

(2) ビル使用により得べかりし利益喪失額

(イ) 新ビル使用により得べかりし利益(期待利廻額)ビル使用の或る時点における相当対価は、

ビル再調達原価×期待利廻+ビル原価償却費+ビル個定資産都市計画税+維持管理費

であるが、第一審原告が予定ビルにより得べかりし利益は右の内ビル再調達原価×期待利廻のみであり、期待利廻は年八%を相当とする。建築費は一億二〇〇〇万円であるから、昭和二九年および昭和三〇年一月の再調達原価はこれと同額である。再調達原価およびこれに対する年八パーセントの年間利廻期待額は左表のとおりとなる(利廻期待額につき昭和二九年は二か月と三分の一か月とし、昭和三九年は六か月と三一分の一四か月とし月割により計算した。なお、再調達現価欄および(A)欄は千円未満切捨、(B)欄は同切上。)。

昭和

再調達原価(千円)

利廻期待額(千円)(A)

現実建物使用価値(千円)(B)

(A)マイナス(B)(千円)

二九

一二〇、〇〇〇

一、八六六

四一八

一、四四八

三〇

一二〇、〇〇〇

九、六〇〇

二、一五〇

七、四五〇

三一

一四六、三九二

一一、七一一

二、六二三

九、〇八八

三二

一三九、一九六

一一、一三五

二、四九四

八、六四一

三三

一二三、五九八

九、八八七

二、二一四

七、六七三

三四

一二九、五八八

一〇、三六七

二、三二二

八、〇四五

三五

一三〇、七九四

一〇、四六三

二、三四三

八、一二〇

三六

一五三、五九八

一二、二八七

二、八五五

九、四三二

三七

一五九、五九八

一二、七六七

三、二二八

九、五三九

三八

一五九、五九八

一二、七六七

二、二三〇

一〇、五三七

三九

一七七、六〇七

七、六三九

七、六三九

(ロ) 現実建物の使用価値

又第一審原告は右の損害期間中でも昭和三八年八月九日までは差押当時の木造建物およびピツコロの建物を使用しており、その使用価値は、前記(一)、(3)、(ニ)記載の如く、予定ビルの使用価値を一三八、六九六とすれば、多くも

昭和二九年一〇月二一日より昭和三六年九月一七日までは 三一、〇五八

昭和三六年九月一八日より昭和三八年八月九日までは 三五、〇五八

であるから、これらの期間について右(イ)の利廻期待額にこの比率を乗じてその使用価値を千円未満切上により計算(ただし昭和三六年については便宜八か月半を分子三一、〇五八とし、三か月半を分子三五、〇五八とし月割計算によつた)すれば右(イ)の表の現実建物使用価値欄の通りである。

(ハ) 支払うべかりし利息

(A) 八〇〇〇万円借入の場合

本件予定ビルの建築費は一億二〇〇〇万円であり、そのうち八〇〇〇万円を幸福相互銀行等の金融機関より借入れ、残は自己資金で調達する予定であつた。自己資金は当時の第一審原告の借入によらない資金調達力(一年に約九五〇〇万円)と本件予定ビル建設がその後第一審原告がなした紅葉館西新館建設等に優先し、場合によつてはこの西新館建設等は放棄しても為されたであろう関係にあることから、実現確実なものであつたのである。

幸福相互銀行等から借入れるについては、最初に八、〇〇〇万円全額を借入れる必要はなく、建築請負契約予定時の昭和二八年一〇月頃、建築中期の昭和二九年四月中頃建築竣工直前の昭和二九年一〇月中頃の三回にその約三分の一づつ、即ち最初の二回は各二七〇〇万円、三回目に二六〇〇万円を借りれば十分過ぎる余裕があるのである。

幸福相互銀行或は他の金融機関から借入れる場合の利息については年一割で計算する。右借入れにより一年据置き昭和三〇年一〇月中頃を第一回として三回の均等年賦で返済するとしてその利息計算をすると、第一回返済たる昭和三〇年一〇月中頃までの利息は、八〇〇〇万円に対する一二か月分八〇〇万円、五四〇〇万円に対する六か月分二七〇万円、二七〇〇万円に対する六か月分一三五万円、計一二〇五万円、その後第二回返済期たる昭和三一年一〇月中頃までの利息は、元金が第一回返済により五三三三万三三三四円となるのでその一二か月分たる五三三万三三三四円であり、その後第三回完済日たる昭和三二年一〇月中頃までの利息は、元金が二六六六万六六六七円となるので、二六六万六六六七円であり、利息合計は二〇〇五万円で、これは昭和三二年一〇月までに支払われるものである。

(B) 全額借入の場合

建築費全額一億二〇〇〇万円を借入れ、しかも第一回借入を建築契約時とする最悪の場合を想定すれば昭和二八年一〇月頃四〇〇〇万円同二九年四月四〇〇〇万円同年一〇月四〇〇〇万円の借入が想定される。利息につき、右(A)と同様に計算すると、第一回返済期昭和三〇年一〇月中頃までの利息は、一億二〇〇〇万円に対する一二か月分一二〇〇万円、八〇〇〇万円に対する六か月分四〇〇万円、四〇〇〇万円に対する六か月分二〇〇万円、計一八〇〇万円、その後第二回返済期までの利息は、元金が八〇〇〇万円となるので利息はその一二か月分八〇〇万円その後第三回完済期までの利息は元金が同様減少するので利息は四〇〇万円で、利息合計で三〇〇〇万円である。

(ニ) 損害額(本判決添付別紙B表)

得べかりし利益は(イ)の金額より(ロ)(ハ)の金額を差引くこととなるが、まず(イ)より(ロ)を年度毎に差引いた残額は、右(イ)の表の最下欄の金額となる。

そしてこの残額の古い年度のものから順次(ハ)の予定利息の金額を差引くのであるが、まず(ハ)の(A)の予定利息二〇〇五万円の場合は、右残額のうち昭和二九ないし三一年の全額および昭和三二年度の内二〇六万四〇〇〇円は消滅し、昭和三二年度の内六五七万七〇〇〇円および昭和三三年度以降の分は残存するので、この残存分を表とすれば本判決添付別紙B表(建物損害)の通りであり、第一審被告は同表記載の損害額とこれに対する同表記載の損害金起算日以降年五分の損害金を第一審原告に賠償すべきである。

次に(ハ)の(B)の仮定の予定利息三〇〇〇万円の場合には右同様(イ)の表の最下の残額の古いものから順次この予定利息を差引けば、同欄記載の金額のうち昭和二九ないし三二年の全額および昭和三三年度のうち三三七万三〇〇〇円が消滅し、昭和三三年度のうち四三〇万円が残存するので、この残存額と昭和三四年度以降の全額およびこれに対する損害金につき被告が責任を負うべきこととなる。

(三) ピツコロ建物の廃棄取毀による損害

前記(一)の(3)冒頭に記載したごとく、第一審原告は本件土地の東北隅に木造平家約四〇坪建設費用約三〇〇〇万円の建物を建築し、昭和三六年九月一八日イタリアンスナツクピツコロとしてスナツク営業を開始したが、本件差押解除後新ビル建築のため使用わずか二年足らずで昭和三八年八月六日廃業廃棄し、同月一〇日頃取毀しを余儀なくされたのである。このように、使用期間二年足らずで取毀さなければならないことがわかつていれば、第一審原告は、この建設をしなかつたのであるが、差押が長引き、差押解除の日が確実でないため、ビルの本建築を待ちきれず焦つて建設し営業したものである。第一審原告は、建物の廃棄取毀により損害を蒙つたのであり、この損害は減価償却を施して左の如く推算することができる。木造建物の建築費の税法上の耐用年数は店舗用住宅用は二四年であり、建物附属設備(給排水電気ガス衛生設備費)の耐用年数は一五年である。そして建築費と附属設備費との割合は前者が圧倒的に大であることは常識であるから、両者を合計した全建設費については耐用年数を二〇年、償却期間を二年とし、定額法償却額を計算するに、二七〇万円(3000万円×(1-0.1)×0.05×2年)であり、従つて償却残額は二七三〇万円である。第一審原告はピツコロの建物廃棄取毀により同建物の廃棄日たる遅くも昭和三八年八月一〇日に同額の損害を被つたのである。昭和二八年七月の差押後ピツコロ建設開始の昭和三六年春頃までには約八年を経過し、このように差押が長引き差押解除の時期が不明確では、第一審原告が焦つてこのような建設および営業をなし、差押解除があれば建物の廃業取毀により第一審原告が損害を受くべきことは、第一審被告がピツコロ建設開始前の頃には十分予測し得べかりしものであるから、廃棄取毀損害については、第一審被告に責任があり、この損害は廃棄日(遅くも昭和三八年八月一〇日)に発生したものであるから同日以降年五分の損害金とともに賠償を請求する。

(四) 新築予定ビルの建築費の値上りによる損害

第一審原告が予定の時期にビル建築をなしたときの建築費は平方メートル三万〇三〇〇円として一億二〇一九万八三四七円であり、このビルを昭和三八年三月一九日の差押解除後、現有のビル建築と同じペースで、同年六月頃建築請負契約をし、同年八月一〇日着工翌三九年七月一五日竣工で建築した場合の建築費は平方メートル四万五〇〇〇円として一億七八五一万二三九六円であるから、その差額五八三一万四〇四九円を損害として、そしてこの損害は予定ビル完成の日に建築請負代金が通常全額支払われるためこの日に発生するものと見るべきであるから、損害発生の日たる昭和三九年七月一五日以降年五分の損害金と共に請求する。

この損害は、インフレによる損害と云うことができるが、第一審被告がこれを第一審原告に賠償すべきことは数額的名目価値により債権を処理する金銭債権制度上当然である。

なお、第一審原告は予定ビルの建築をしなかつたので、建築費に対する借入利息を免れ、あるいはその資金を他に流用して利益を挙げた筈であるから、これら利益を損害より差引くべきであるとすることはできない。」

8  同一一枚目表一二行目冒頭「(一)」を「(五)」に改め、同裏三行目「地階」から同八行目「メートル」までを左記のとおり改める。

「地階ないし五階いずれも二四二坪(三階四階各一九八坪、五階二三坪七の吹抜け部分を含む)、六階ないし八階いずれも五五坪九総床面積一六一九坪七」

9  同一一枚目裏九行目「機械室」の次に「用及び営業用」を加える。

10  同一二枚目裏一行目「八四三、一三九、五七〇円」を「八四三、一三九、〇〇〇円」に改め、同末行目から同一三枚目表五行目までを次のとおり改める。

「(ロ)営業利益より差引くべきもの

右の営業利益には第一審原告が自己所有の土地建物を使用した利益(家賃相当額)が含まれているので、これを差引き、且つ建築費借入金利息(前記(二)の(2)の(ハ)二〇〇五万円)を差引いたものが営業による純利益となる。

差引くべきもの左の通りである。

(A) 土地使用対価(地代)相当額 二億一三〇〇万九三一九円

(B) 建物評価額に対する期待利廻り額   一億〇一四八万円

(C) 建物減価償却費         二五三七万三〇〇〇円

(D) 建物固定資産税、都市計画税   一一九五万五〇〇〇円

(E) 建物維持管理費          四二九万三〇九三円

(F) 建築費借入金利息            二〇〇五万円

以上合計          三億七六一六万〇四一二円

(ハ) 営業純利益

純粋に営業による得べかりし利益は(イ)より(ロ)を差引いた残額で第一次計画による場合四億六六九七万八五八八円となる。」

11  同一三枚目表七行目「六九四、五八九、〇四一円」を「六九四、五八九、〇〇〇円」に、同裏一行目から五行目までを「(ロ)営業純利益右(イ)から(1)の(ロ)を差引くと、第二次計画による場合の営業純利益は三億一八四二万八五八八円となる。」に、同八行目「一、二六三、一九五、七七六円」を「一、二六三、一九五、〇〇〇円」に改める。

12  同一四枚目表六行目から一二行目までを次のとおり改める。

「(ロ)営業純利益右(イ)から(1)の(ロ)を差引くと、一般的なレジヤー営業に使用したであろう場合の営業純利益は八億八七〇三万四五八八円となる。

以上(1)ないし(3)は昭和三九年七月一五日までに得べかりしものであるから、第一審被告はこれら各金額とこれに対する昭和三九年七月一五日以降支払いずみまで年五分の割合による損害金を賠償すべきである。」

13  同一四枚目表末行から一五枚目裏一二行目までを削り、同一五枚目裏末行から一六枚目表四行目までを次のとおり改める。

「(六) 各損害と本訴請求額との関係

第一審原告は、以上(一)ないし(五)の損害を主張したが、この主張の順序によつて損害額を認定せられたく、(一)ないし(四)の認定の元本額が五億二〇〇〇万円に不足する部分について(五)の損害の元本額を認容せられたい。」

14  同一六枚目表八、九行目「四一年三月三〇日」を「二八年一二月三一日」に改め、当審で請求を拡張する。

15  同一七枚目表一〇行目「不」を削除する。

16  同添付第一目録末尾に次のとおり加える。

「ただし、以上は登記簿上の表示

昭和三八年以後の登記簿上の表示は左記の通り

同町同番地一宅地一六二m2〇八

同    二同 一七〇m2〇八

同    三同  二四m2一九

同    四同  二一m2七五

同    丙同 二九八m2九七

同    丁同 一一九m2四三

右登記簿上の面積合計七九六m2五〇なるも、実測面積八〇三m2九二三九(二四三坪一八六九)」

17  同添付第三目録を次のとおり改める。

「木造トタン葺建物

地階  二八坪九合八勺

一階 一七八坪一合七勺

中二階 二三坪九合二勺

二階  五〇坪九合二勺

屋階  四九坪五合

合計 三三一坪四合九勺」

二  第一審原告の主張

1  建物性について

戦災後の本件コンクリート残存物件は、木造居宅が焼け、一坪の便所部分のみが残存したようなもので、建物としては滅失している。

2  対抗要件について

仮に、本件コンクリート残存物件部分が独立した建物であり、戦災によつても滅失しなかつたとしても、左記(1)ないし(6)の事実をもつて民法一七七条の登記に該当すると解すべきである。

(1) 昭和二二年五月石川から第一審原告に所有権が移転した。

(2) 戦災前の建物については、石川の申請により昭和二四年四月二八日建物取毀を原因とする抹消登記手続がなされ、建物登記簿が閉鎖された。

(3) 第一審原告は、コンクリート残存物件を包みこんで外部から見えないようにした新建物を築造した。

(4) 第一審原告は、右新建物につき昭和二四年六月一四日所有権保存登記を了した。

(5) コンクリート残存物件は通常人・法律家にも建物か否か判別不能のものである。

(6) 第一審原告は、昭和二六年に敷地全部を石川より買受け、同年四月九日所有権移転登記を了した。

3  過失について

(一) 第一審被告は、本件コンクリート残存物件が第一審原告の所有であるのに滞納者石川の所有であると見誤つた過失がある。すなわち、第一審被告係員は本件コンクリート残存物件を含む建物を未登記と考え、第一審原告の所有であることを看過したのであるが、登記関係の調査をつくしていたならば昭和二四年四月二八日付の滅失登記をしりえた筈であり、立入調査をつくしていたならば本件土地及び地上物件がすべて第一審原告の所有であることを容易に知りえた筈である。

(二) 第一審被告は、本件差押を長年月解除しなかつた過失がある。

(三) 前訴(大阪地方裁判所昭和二八年(ワ)第三三七七号建物所有権保存登記抹消等請求事件)第一審判決で第一審被告が勝訴しているからといつて、右判決は初歩的誤りによつてなされた判決である。第一審被告係員に同様の誤りがあることをもつて無過失ということはできない。

4  損害額滅少論について

(一) 本件土地のうち差押にかかるコンクリート残存物件の存在する部分の面積は約二〇%に過ぎないから残地約八〇%にビルを建築し、差押物件を装飾する等してその後に建てるビルに顧客を誘引することができたと考えることはできない。すなわち、残地に建てるビルは、差押物件が道頓堀通に面し、間口一五メートル七、奥行約一〇メートルのものであるから、表通りに面する間口は約七・三メートルに過ぎず、奥行も間口一五メートル七の部分につき一〇メートルを削られた複雑不整形不体裁な建物であるから、

(ア) 第一審原告の業界における評価等よりして大きな不名誉である。

(イ) 建物内に設置する娯楽施設も、舞台付キヤバレー、舞台付芸術喫茶、ボーリング場等を考えても、著しく規模を縮少したものを作らざるを得ず、しかも縮小規模の娯楽施設といえども多額の設備費用を要することは明らかであつて、後日残存物件取毀可能となりビル増築をすれば、最初から増築部分も建設する場合に比し建築費が嵩み、又既設施設の処置に窮し或はこれを取毀すことが必要となる等の大きい不利がある。

(ウ) 残存物件を装飾することは本件差押当時より昭和三四年まで施行せられていた旧国税徴収法第三二条第一項の「差押物ヲ損壊シ、国ノ不利益ニ処分シ」に該当すると見られ、同条二項の犯罪と見られる恐れがあり、当然厳重な取調或は起訴を受けるであろうからできることではない。

国税徴収のため不動産差押がなされた場合、それ以後は通常の用法に従う使用のみは許されるものの、それ以外の使用が許されないことは当然であり、装飾は通常の用法による使用と云い得るか否か或は損壊でないかの疑いを免れず、第一審原告としてこのような危険な行為をなし得ないのは当然と云わなければならない。

(エ) 間口狭小、娯楽施設小規模(世人をあつと云わせ話題となるようなことができない)のため客足少くビル建設の効率が小さい。

右(ア)(イ)(ウ)(エ)の大きい不利があるから、本件現実のごとく昭和三八年まで一〇か年も差押解除が得られないことがわかつていれば、第一審原告は右の不利を忍んでも残地に建築したかも知れないが、解除時期不明のとき(旧訴二審判決確定までいつでもこの状態にあつた)に第一審原告に対しこのような残地建築をせよと云うのは不可能を要求するに外ならない。

(二) 第一審原告は、土地価格に比すればさして大きくない石川の滞納税額(本税三五六万三二〇〇円、延滞加算税一七万八〇五〇円、利子税一四九万九三九五円、合計五二四万〇六四五円)を納付することにより本件差押の解除を得ることができたから第一審原告の土地利用見通しに決定的な不安はなかつた筈であるということはできないし、第一審原告がこの滞納税金代払により損害の拡大を容易に防止できたのにこれをしなかつたということもできない。すなわち、第一審原告は税金代払により差押解除を得るという制度を知らなかつたし、弁護士といえどもこのような制度のあることおよびその適用例を知らないのが一般であり、第一審原告は当時以来相談していた鈴木八郎弁護士や税務当局からもこの制度のあることを聞かなかつたのである。又仮に、第一審原告がこの制度を知つていたとしても、石川の税金を代払することは石川より回収の見込がなく、多額の右金額の損害を意味するのであるから、昭和三八年までも差押が解除されないことがわかつていれば或は代払をしたであろうけれども、解除の時期が不明であつて、どの時点においても二―三か月以内にでも解除されるかも知れない以上、差押以後どの時点においてもこれを第一審原告に期待することは無理と云わなければならない。

5  ピツコロ取毀による損害について

(一) 右主張が時機に遅れた攻撃方法であることは否認する。

(二) 仮に、時機に遅れたものであるとしても、訴訟を遅延させるものでないから許容されるべきである。

6  第一審被告の時効の抗弁について

第一審原告が本訴で請求しているピツコロ取毀損害賠償請求権、土地建物営業損害賠償請求権等は一体をなした一個の請求権であり、そのうちの一項目請求権のみが独立して消滅時効にかかるものでなく、又これらすべての請求権はその各遅延損害金を含め早くも昭和五三年九月始頃より消滅時効の進行を開始すべきものである。したがつて、

(一) 全損害の一部項目たるピツコロ建物取毀損害賠償請求権或は遅延損害金請求権だけについての第一審被告の消滅時効の抗弁は無意味である。

(二) 第一審被告が消滅時効の抗弁を主張するピツコロ建物取毀損害賠償請求権遅延損害金請求権を含む全損害賠償請求権が消滅時効の進行を開始すべき昭和五三年九月には、既に時効中断事由たる本件訴訟が全損害を含む一個一体の請求権につき提起せられているので消滅時効は進行を開始するに由なく第一審被告の時効の抗弁は失当である。

(三) 仮に、消滅時効が進行するとしても、第一審原告は、進行開始時たる昭和五三年九月より三年以内たる昭和五六年一月三〇日に、第一審被告が時効抗弁の対象とした請求を記載した準備書面を提出し、同日の口頭弁論においてこれを陳述したので、これにより時効は中断せられたものである。

三  第一審被告の主張

1  建物性について

戦災で焼け残つたコンクリート部分は、独立の利用価値のある建物である。物の不足した終戦直後には焼ビルは建物として取引されており、本件でも社会通念上建物として取引対象となつたからこそ第一審原告は昭和二二年に借地権利金を含むとはいえ、八万円の高額の代価を石川に支払つたのである。

又客観的にみて建物性を喪失したものではなかつた。すなわち、昭和二一年八月税務署職員小林信夫、区役所職員岡田幸太郎が現地調査のうえ、建物たることを確認している。右建物の南側はもともと開口部であり、天窓部分は代替性があり僅少である。西側の開口部は出入口であり扉をつけるだけで足りるのである。防水性は失われたとしても、もともと何年かに一回は替えねばならないものであり、補修も容易である。建物性を否定される程のものではない。

2  対抗要件について

第一審原告の昭和二四年六月一四日付所有権保存登記に係る新建物は、旧建物(鉄筋)と同一性がない。したがつて右登記は旧建物について対抗力を生ずる理由がない。

3  過失について

(一) 過失についての第一審原告の主張事実は争う。

(二) 仮に、本件コンクリート残存物件が建物と認め難いとしても、その判断は困難かつ微妙であり、差押を長年月解除しなかつたのは、前訴第一審で勝訴しているからである。

前記小林は、建物としての残存を確信しており、台帳にはコンクリート部分の残存を確認した印があり、右部分と他の部分とは別棟の建物のように記載されているから建物の滅失を窺知することは不可能であつた。さらに家屋台帳が復活され、納税者の自主申告がなされていたので立入調査の必要もなかつた。仮に立入調査をしても戦災直後の状況を判断することは容易ではなかつた。徴税職員に裁判官以上の判断能力を要求することはできない。

4  損害について

(一) 土地損害

第一審原告主張の土地損害は架空の損害である。第一審原告はその額を更地としての賃料相当額から現実に使用した土地使用利益を控除したものであるとして、新ビル自体の使用価値と従前建物自体の使用価値の左記比率から算出している。

(31,058/138,696ないし35,058/138,696即ち22.39%ないし25.27%)

しかし土地使用利益と建物自体の使用価値とは本来直接の関係はないから右比率によるのは正当でない。

また第一審原告は、従来の建物でパチンコ店を経営していたが、本件コンクリート残存物件による本件土地に対する建付制限率は二割程度であつた。

(157m2/796.51m2=0.197≒0.2)

しかも、その存在は、右パチンコ店経営につき第一審原告に対し特段の不利益を与えていなかつた。

(二) 建物損害

第一審原告主張の新ビルを自家用に使用しえなかつた建物損害は「ビル再調達現価×期待利廻り(年8%)」であるところ、第一審原告は、昭和三一年右ビル再調達現価を(イ)アイスパレスに二億三〇〇〇万円、(ロ)紅葉館西新館に約一億三〇〇〇万円、(ハ)晴嵐荘増築に五〇〇〇万円ないし六〇〇〇万円、(ニ)コンパに約三〇〇〇万円投資しているというにあるから投資の振替えにより損害をうけたものとはいえない。

(三) ビツコロ取毀による損害

(1) 右損害の主張は、時機に遅れた攻撃方法であるから却下されるべきである。すなわち、右損害があつたとしても、一審で容易に主張しえたのに拘らず、控訴審の終結直前に突如提出したもので第一審原告の故意又は重大な過失によるものであり、訴訟の完結を著しく遅延させるものである。

(2) ピツコロは本件差押後八年も経過して任意に本件土地上に建築したものであり、建築後三年にして新ビル建築のために取毀したとしても、本件差押えと相当因果関係があるとはいえない。

(3) 仮に損害があるとしても、第一審被告は消滅時効を援用する。すなわち、右損害の発生は新ビル建築に着工した昭和三八年八月であるから、右損害の請求は民法七二四条に規定する三年の期間を徒過している。

(四) 建築費値上りによる損害

右損害はインフレーシヨンによる名目的な建築費の値上り差であるが、このような差額が損害賠償の対象となるものではない。金銭支払いの遅延に対し法定利率による損害しか認められないのと同様である。

(五) 営業損

右は事業投資による利益の喪失であるが、第一審原告が投資をしたからといつて当然にその主張のような利益が得られるものではない。現に第一審原告がその頃投資したアイスパレスでは多大の赤字を出しており、新ビルで予定した事業は極めて珍奇なものを含み成算があるとはいえない。

4  請求拡張部分に対する消滅時効の抗弁

金五億二〇〇〇万円に対する昭和二八年一二月三一日から昭和四一年三月二九日までの年五分の割合による遅延損害金が仮に認められるとしても、既にその履行期から一四年以上の期間が経過し、民法七二四条の消滅時効が完成している。よつて第一審被告は右請求拡張部分に対し消滅時効を援用する。

四  証拠関係 <略>

理由

一  書証の成立、差押え、差押の違法性、違法差押の過失、因果関係についての認定判断は、次に付加するほか原判決二二枚目表二行目から三九枚目表九行目までの理由説示と同一であるから、これを引用する。

1  第一審被告は、本件コンクリート残存物件が、客観的にみて建物性を喪失していなかつたことを第一審被告係員が確認しており、また、独立の利用価値のある建物であつたことはその取引及び使用状況から明らかである旨を主張する。

ところで、本件コンクリート残存物件が昭和二〇年三月一四日の戦災により建物性を喪失したものであることは、原判決二四枚目表一一行目から三〇枚目表三行目までに認定のとおりであるが、もともと、本件土地上の罹災前の建物は、北側鉄筋コンクリート造タイル張三階(本件コンクリート残存物件部分)と南側木造瓦葺三階とが結合して一体化されたものであつて、北側鉄筋コンクリート造タイル張三階部分はいわゆる独立のビルとはその構造において異り、東西一五・七メートル、南北一〇メートル、高さ約一〇メートルの箱形であるが、三階建とはいうものの天井の高い吹抜け式の一階建と同様のものであり、主柱と屋根と西面の壁がビルの構造であるほか、南面に壁がなく、北面の壁は装飾壁であり、東側の壁はその東側に建つている煉瓦造壁に接着させたものであつて、通常のビルにみられる一階と二階、二階と三階を各区画するような鉄筋コンクリート造りの耐力床や耐力壁はなく、南側に同様のコンクリート壁がなく木造三階部分が接続していたから、戦災により右木造三階部分の火力をまともにうけやすく通常の独立のビルと比べて罹災程度が高くなり、罹災後の利用性に劣るところのあるのは、やむをえないものがあつた。かくして、<証拠略>によると本件コンクリート残存物件は柱、梁及びスラプが残つただけで、鉄筋コンクリート造り総工費の七割五分程度を失つたことが認められる。

また、物の不足した終戦直後に焼ビルが建物として取引され、又は使用される事例の少くないことは<証拠略>によつて窺知することができ、また、税務署職員小林信夫、区役所職員岡田幸太郎が本件コンクリート残存物件を現地調査し、建物性ありと考えたことは、<証拠略>原審証人小林信夫、同岡田幸太郎、当審証人岡田幸太郎の各証言によつて認められる。

しかし、<証拠略>及び原審での第一審原告代表者木下弥三郎本人尋問の結果(第一回)によると、戦災後の昭和二二年に木下弥三郎が石川文右衛門から本件土地上の建物その他の工作物を所有することの確認をうけ、所轄区役所その他に建築届をなしその他の手続をなす場合に右石川の協力をうけることにして、右協力の謝礼を兼ねて本件土地賃借の権利金として八万円を右石川に支払つていることが認められるものの、右八万円の授受によつて本件コンクリート残存物件が建物として取引されたと認めるに足りる証拠はない。かえつて、石川が保存登記を有していた戦災前の建物(本件コンクリート残存物件となる前の建物)につき、右金銭授受後の昭和二四年四月二八日取毀を原因とする保存登記の末消登記手続をとつていることからすれば、右は建物として取引されたものでないことが推認できる。

さらに、本件コンクリート物件は、現実にも独立に利用されたものではなかつた。すなわち、戦災後の昭和二二年頃本件土地上に建築されたキヤバレー用及びダンスホール用建物は、本件コンクリート残存物件部分及びその南側に連続する木造二階建であるが、本件コンクリート残存物件のうち西側の壁に防水を施してドアを設け、北側の壁に補修装飾してこれを利用したものの、二及び三階の木造部分は本件コンクリート残存物件に負担をかけないように支柱を設けて建築され(それは、本件コンクリート残存物件が右木造部分の重さ、力に耐えうるとの確信を建築士においてもてなかつたからである。)屋上には床を設けて部屋を設けたものであるところ、右建物が本件コンクリート残存物件に副つた構造であるため、本件コンクリート残存物件との区別がまぎらわしい点のあることは否定しえないけれども、本件コンクリート残存物件自体を焼ビルとして使用し、又はこれに補強工事等の改修を加えてこれをビルとして使用したものでないというべきであるから、本件コンクリート残存物件が独立の利用価値のある建物であつたとすることは困難である。

なお、前記証拠によると、岡田幸太郎らは昭和二一年夏の現地調査に際し、屋根と床があれば焼ビルとして残し、建物滅失とはしない方針で臨み、そのために税金の不当を云つてくる人に対しては焼ビルをつぶしてもらうことにしていたことが認められるから、税務署職員小林信夫、区役所職員岡田幸太郎の右のような方針による調査によるその判断だけによつて、本件コンクリート残存物件の建物性の有無を速断することはできないというべきである。

凡そ、鉄筋コンクリート造建物の焼残部分であつて、そのままでは建物としての用をなさないものであつても、なお建物としての主体を存し物理的・経済的にも修繕可能のものと見うべきものは社会通念上なお建物というべきであるが、本件コンクリート残存物件は、そのままでは建物としての用をなさないものであるのは勿論、西側と東側には外壁はあるが、南側には全く外壁がなく、北側の装飾壁は毀損され、建物としての主体は大いに損なわれ、修繕が可能であるとはいえない(修繕するとしても新築の七割五分もの多額の費用を要する)状況にあつた。

かくして、戦災前と戦災後の建物の状況及び罹災程度等からみて、本件コンクリート残存物件は戦災により独立の利用価値はなくなり、単に撤去の経費と手数の省略により、残置されていたにすぎず、昭和二〇年三月一四日(戦災の日)に建物性を喪失したと認めるのが相当である。

2(一)  第一審原告は、本件差押は本件コンクリート残存物件が第一審原告の所有であるのに、滞納者石川の所有であると誤つて差押した過失がある旨を主張する。

ところで、右1に記載のように建物性の喪失が認定できる以上、建物としての登記ないし対抗要件を考える必要はなく、本件コンクリート残存物件は本件土地の一部又は建物でない独立の物の何れとみても、既に第一審原告の所有に帰し、滞納者に属しないものである(原判決三〇枚目表六行目から同裏一行目までのとおり)から、第一審被告係官は所有者の認定をも誤つた過失があることに帰する。

(二)  第一審原告は、本件差押が長年月解除されなかつた過失を主張する。たしかに、違法な差押は維持継続すべきではなく、解除するのが当然である。担当職員にはこれを解除すべき注意義務があるといえる。しかし、適法な差押と信じて客観的には違法な差押をしている者に対し解除の措置を期待することはできないから、このような場合には、当初の差押時の過失が維持継続しているにすぎず、改めて解除しなかつた過失を二重に評価することはできない。もつとも、差押後に発生した事情(本件コンクリート残存物件の倒壊、所有権帰属に関する明らかな証拠の新たな発見)等によつて容易に右差押の違法性に気づきえたのに不注意によりこれに気づかず解除しなかつた場合等には、新たな過失があるといわねばならないが、本件においては第一審被告担当職員に右の点につき新たな過失があることを認めるに足りる証拠はない。すなわち、前記小林、岡田は建物性の有無につき一応の調査をつくしていること、終戦直後には焼ビルが建物として使用された例が少くなかつたこと、右小林は自信をもつて課税に臨んでいたこと、前訴第一審判決では建物性ありとして第一審被告が勝訴していること等にてらすと、差押当時本件差押の違法性が容易に発見されうる程度に明白であつたとはいえないし、その後に差押の違法性に気づきうる事情が新たに発生したともいえないから、前訴第一審判決が控訴審で取消されるまで差押を維持したからといつて、改めて解除しなかつた新たな過失があるということはできない。

二  次に第一審原告の被つた損害について考察する。

1  第一審原告は、本件差押当時昭和二八年一二月着工、同二九年一〇月完成の予定でビル建築の計画をたて終り、その資金準備もして、右計画を具体化しようとしていたので、本件差押がなかつたならば新ビルは予定通り建築されえたであろうとして新ビルの使用を前提とするうべかりし利益相当の損害等を被つたと主張する。

2  しかしながら、右ビル建築の計画をたて終り、資金準備もしていたことを認めるに足りる証拠はない。第一審原告主張の損害が発生するためには、前提として第一審原告主張の新ビルが建築されえたであろう可能性がなければならないところ、差押当時第一審原告に右新ビル建築の具体的計画(建築の設計及び資金の手当)があつたと認めるに足りる的確な証拠はない。

(一)  まず、右新ビル建築計画についてみるに、<証拠略>によると、次の事実が認められる。

(1) 本件差押(昭和二八年七月一三日)前の昭和二七年一二月頃スポーツ・娯楽・興業界にアイススケート時代が到来した。

(2) 第一審原告は、昭和二八年初め頃右スケート場を企画した。そして、同年二月頃京都市内の宗教法人大雲院との間に、右大雲院所有地に仏教会館及び文化会館を建築し、仏教会館を寄付する代りに、文化会館をアイススケート場その他に一〇年間無償で使用する契約を締結し、同年四月株式会社大林組に対し右アイススケート場(アイスパレスという)の建築を昭和二八年一〇月三一日完成(同年九月二五日営業開始しうる範囲に完成)、代金一億二一〇〇万円で請負わせた。その代金は、同年四月二五日二〇〇〇万円、同年五月末から同年八月末まで毎月一〇〇〇万円宛、同年九月二〇日四〇〇〇万円、同年一一月末と一二月末に各六〇〇万円、昭和二九年一月末九〇〇万円の分割払いで、建物の所有権移転は請負代金の支払い完了のときとする約であつた。さらに本件差押後の昭和二八年九月頃から同年一二月頃まで右アイスパレスの追加変更工事を代金四五九五万円で請負わせた。

(3) 第一審原告は、昭和二九年二月大林組に対する右未払代金六〇九五万円を昭和三〇年七月末までに分割弁済する旨約し、アイスパレス(鉄筋コンクリート造亜鉛鋼板葺四階建スケート場)に抵当権を設定した。その後昭和二九年八月二五日大林組との間に残金五三七五万円を昭和三〇年一二月末までに支払う旨の和解調書を作成し、さらに同年三月三一日九七五万円の免除をうけた。

(4) 右アイスパレスは経営難から昭和三〇年七月頃には映画館に転向せざるをえなくなつた。

(5) 第一審原告主張の建築予定の新ビルに副う専門的な建築設計図はなく、当時第一審原告が建築業者と折衝して建築条件を調整していたこともなく、さらには請負契約を締結し、手付金を支払い或は銀行等に対し融資の申込手続をとり、又はその了解をうる等の具体的な計画ないし準備は何らなされていなかつた。

右認定の事実関係によれば、昭和二八年の本件差押当時第一審原告は、アイスパレスに投資中であり、しかもその支払いに窮しており、他方第一審原告主張の新ビル建築はその計画をたて終り、その資金準備もしていたという段階ではなく、未だ具体的な計画があるとはいえない段階であり、新ビル建築が第一審原告主張のような予定で実現されたであろう可能性はないと認めるのが相当である。

もつとも、<証拠略>及び原審での第一審原告代表者木下一郎本人尋問の結果(第一、五回)並びに当審証人木下一郎の証言によると、昭和二八年頃第一審原告には、その主張のような新ビル建築の案があつた旨の供述部分及び一九五三年四月の計画で、同年一二月着工翌年一〇月二〇日完成予定とメモされてある右木下一郎作成の八階建新ビル建築予定の図面(以下本件予定図という)の存在が認められる。

しかし、前掲証拠によると、本件予定図は一見して粗図であることが明らかであるところ、本件予定図に記載されてあるエスカレーターは、安全度三〇度を超える急勾配であるから、隣地の角座所有土地を半分買い足さねば無理であると海上静一から木下一郎に意見したことがあるという位のものであり、本件予定図はそのまま使用できるものではなく、さらに何回もデイスカツシヨンのうえ修正を経なければならないものであること及び本件予定図が本件差押前に作成されていたが、その後に作成されたか不分明であることが窺える。即ち、本件予定図の作成がメモ書き通り昭和二八年四月であるならば、それはアイスパレス建設の契約の最中の時期に当り、しかも、その後本件差押まで約三か月間があるのに何らの修正も窺えず、海上静一の証言中には本件予定図を見た時期について正面から答えない部分、背尾忠雄の証言中には同人が見たという図面が本件予定図であつたか定かでない部分すらある。

してみると、前記供述部分及び本件予定図は、その未熟性と前記(一)(二)にてらし、たやすく採用できない。

(二)  第一審原告は、右資金調達の可能性があつた旨を縷々主張するところ、右の点については、当裁判所も資金調達の可能性はないと判断するが、その理由は次に訂正付加するほか原判決三九枚目表一〇行目から同五五枚目表末行目までの理由説示と同一であるからこれを引用する。

(1) 原判決四〇枚目裏一行目末尾に左記のとおり加える。

「当審証人木下一郎の証言によると、新ビル建築の予定資金約一億四〇〇〇万円のうち八〇〇〇万円を借入金で、うち六〇〇〇万円を幸福相互銀行の母(木下ハギエ)の預金でまかなう予定であつたというのである。そうすると、自己資金については右六〇〇〇万円の預金の有無をたしかめればそれで足りる訳である。しかし、同証人は右六〇〇〇万円については母でないと詳しくは分らないという。差押から二〇年以上経過しているのに右六〇〇〇万円の出所すら明らかでない。してみると当時資金の手当まで考えていたとは到底いえないと認めるのが相当である。」

(2) 同四二枚目裏一〇行目「第六四号証」の次に「、第六九(一部)、第七〇号証」を加え、同四三枚目表四行目「少なくとも」から同九行目「できない。」までを「当審証人磯田博弌の証言によつて成立を認めうる甲第六九号証(一部を除く)、同木下一郎の証言によつて成立を認めうる甲第一〇一号証及び右各証言によると、右不動産の価格が約一億一四二一万七〇〇〇円であることが認められる。他に右認定を覆えすに足りる的確な証拠はない。」に、同四五枚目裏一行目「五二、八一一、七〇一」を「一一四、二一七、〇〇〇」に、同二行目及び九行目「一九三、三八七、三八三」を「二五四、七九二、六八二」に、同行目「一六、〇三二、四二九」を「五二、八七五、六〇九」に改め、同四六枚目表三行目「これだけで」から同四行目「超え、」までを削り、同五行目「が」を「は約三五〇〇万円にすぎ」に改める。

(3) 同四九枚目表一一行目「建物減価償却費、」を削る。

(4) 同五五枚目表七行目の次行に「第一審原告は、二億五〇〇〇万円と評価すべき営業権を担保とする借入れを主張するが、営業権の評価額を認めるに足りる証拠がない。のみならず右は第一審で主張されず、当審で始めて主張されたものであるところ、凡そ二〇年以上も経つてから考え出した主張というほかなく、昭和二八年ないし三六年頃から提供すべく準備していた担保であるとは到底考えられない。よつて右主張は採用できない。」を加える。

(5) 同五五枚目表一二行目「(三)」を「(四)(五)」に改める。

(三)  次に、当裁判所も昭和三六年以降第一審原告に新ビル建築の可能性があつたと判断するが、その理由は、原判決五五枚目裏一行目から五七枚目表一一行目までと同一であるから、これを引用する。ただし、原判決五五枚目裏一二行目「八月」の次に「一〇日」を加える。

3  次に損害について判断する。

(一)  土地損害について

第一審原告において、昭和三六年六月三〇日にアイスパレス売却代金を受領して建築予定ビルの建築が可能となり、設計図その他の準備を経て同年一二月一日旧建物取毀、右予定ビル建築に着手し、同三七年一一月一五日には完成して利用を開始し得たであろうこと及び現実には本件差押があつたため、新ビルは前訴判決確定(昭和三八年三月一九日)後の昭和三八年八月一〇日着工、同三九年七月一五日完成したことは前記のとおりである。

右昭和三六年六月三〇日以前においては、建築予定ビルの建築の可能性はなかつたのであり、他に本件コンクリート残存物件を除去し、本件土地を有効に利用すべき計画を認めるべき証拠はないから、第一審原告は本件土地、同地上旧建物を従来通り使用していたものというほかなく、現にその使用を継続したのである。右は、本件差押の有無にかかわりがない。

してみると、右昭和三六年六月三〇日までは損害を認めるに由ないものといわねばならない。

その後昭和三六年一一月末日までは新ビル建築の準備期間であるから、この期間には本件土地につき従来の使用状態が継続されるだけであり、損害の発生は肯認できない。

さらに、その後昭和三七年一一月一四日までは新ビルの建築工事期間であるから損害は発生しない。

(1) 原審鑑定人藤谷孝の鑑定の結果によると、本件土地に本件差押等一切の制約がなくこの全体を自由に利用できたものと仮定したときの土地賃料相当額は、本件土地の有効利用を開始しうる前記昭和三七年一一月一五日から第一審原告主張の損害の終期同三八年八月九日まで昭和三七年分は一八八万五〇八〇円、同三八年分は一〇二五万六〇二五円(合計一二一四万一一〇五円)である。

1,229,400円×116/30=1,885,080円(昭和37年分)

1,406,800円×79/31=10,256,025円(同38年分)

1,885,080円+10,256,025円=12,141,105円

(2) 右期間中に第一審原告が本件土地を使用した利益は、原審鑑定人森井徹の鑑定結果及び弁論の全趣旨により新旧建物による土地利用度により一三万八六九六分の三万五〇五八であると認めるのが相当であり、その額は昭和三七年分四七万六四八九円、同三八年分二五九万二四〇一円(合計三〇六万八八九〇円)である。

1,885,080円×(35,058/138,696)=476,489円(昭和37年分)

10,256,025円×(35,058/138,696)=2,592,401円(同38年分)

476,489円+2,592,401円=3,068,890円

(3) 故に、第一審原告主張の土地損害は、右(1)から(2)を引いたものであり、昭和三七年分一四〇万八五九一円、同三八年分七六六万三六二四円(合計九〇七万二二一五円)である。

(4) 第一審被告は、土地使用利益を建物自体の使用価値から割り出すのは失当であると主張するが、宅地の使用は地上に建物を所有して使用するのが最も普通の使用方法であるから地上建物によつて土地利用度を割り出す方法をもつて失当であるということはできない。よつて、右主張は採用できない。

(二)  建物損害について

(1) 後記(四)のとおり、昭和三六年一二月における新築予定ビルの建築費は一億八二四〇万円である。そして、前記昭和三七年一一月一五日から同三九年七月一四日まで右新築ビルによつてうべかりし利益は、期待利廻り年八パーセントによつて計算すると、昭和三七年分は一八六万四五三三円、同三八年分は一四五九万二〇〇〇円、同三九年分は七八四万五一六一円(合計二四三〇万一六九四円)である。

182,400,000円×0.08=14,592,000円

14,592,000円÷12=1,216,000円

1,216,000円×116/30=1,864,533円

1,216,000円×614/31=7,845,161円

1,864,533円+14,592,000円+7,845,161円=24,301,694円

(2) 右期間中に第一審原告が旧建物を使用した利益は、前記(一)(2)の計算方法により昭和三七年分四七万一二九五円、同三八年分三六八万八四〇〇円、同三九年一九八万三〇一一円(合計六一四万二七〇六円)である。

1,864,533円×(35,058/138,696)=471,295円

14,592,000円×(35,058/138,696)=3,688,400円

7,845,161円×(35,058/138,696)=1,983,011円

471,295円+3,688,400円+1,983,011円=6,142,706円

(3) 右昭和三九年七月一四日まで第一審原告が建築費に対して支払うべかりし利息についてみると、前記認定の第一審原告と伊藤忠商事株式会社との(昭和三九年完成のビル)建築請負契約関係及び弁論の全趣旨により、建築費のうち八〇〇〇万円を昭和三六年一一月、同三七年五月に各二七〇〇万円、同年一一月に二六〇〇万円、年一割の利息で借入れ、一年間据置き後、三年間に平等分割弁済するものと認められるから、昭和三七年末までの利息は五三八万三三三三円、その後昭和三八年末までの利息は七五五万五五五四円、さらにその後昭和三九年七月一四日までの利息は二八六万七三八二円(合計一五八〇万六二六九円)となる。

(イ) 2,700万円×0.1÷12×14=315万円

2,700万円×0.1÷12×8=180万円

2,600万円×0.1÷12×2=43万3,333円

315万円+180万円+43万3,333円=538万3,333円

(ロ) 8,000万円×0.1÷12×10=666万6,666円

5,333万3,334円×0.1÷12×2=88万8,888円

666万6,666円+88万8,888円=755万5,554円

(ハ) 5,333万3,334円×0.1÷12×614/31=286万7,382円

538万3,333円+755万5,554円+286万7,382円=1,580万6,269円

(4) 故に右(1)から(2)と(3)を引くと二三五万二七一九円となり、第一審原告主張の建物損害は昭和三九年分二三五万二七一九円である。

(三)  ピツコロ建物の廃棄取毀による損害について

(1) 第一審被告は、第一審原告の右損害の主張は時機におくれた攻撃方法であるから、民訴法一三九条により却下すべきであると主張する。

右損害は一審で容易に主張しえた筈であることは明らかであるが、第一審原告は昭和五六年一月三〇日当審第一一回口頭弁論期日で右損害を主張しているところ、第一三回口頭弁論期日には弁論を終結している経過にてらし、右損害の主張は訴訟の完結を遅延させるものではないというべきである。よつて第一審被告の却下の申立は採用しない。

(2) ところで、ピツコロ建物の建築及び廃棄は、通常生ずべきものとはいえず、ピツコロ建物の廃棄取毀による損害は、特別事情による損害であると認めるのが相当であるところ、これを第一審被告において予見し、又は予見しうべかりしものであることは認めるに足りる証拠がない。

(四)  建築費値上りによる損害について

当裁判所も右につき五四〇万円の損害があつたと判断するが、その理由は原判決六七枚目表一一行目から同六八枚目裏五行目までと同一であるから、これを引用する。

(五)  営業損害について

当裁判所も右につき損害を認めえないと判断するが、その理由は原判決五七枚目裏四行目から同六五枚目裏一一行目までと同一であるから、これを引用する。

(六)  してみると、第一審被告は、右(一)の土地損害九〇七万二二一五円、(二)の建物損害二三五万二七一九円及び(四)の建築費値上り損害五四〇万円の合計一六八二万四九三四円及びこれに対する不法行為による損害発生の日である右(一)のうち一四〇万八五九一円については昭和三七年一二月三一日から、うち七六六万三六二四円については同三八年八月九日から、右(二)の二三五万二七一九円については同三九年七月一四日から、右(四)の五四〇万円については同三八年八月九日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があつたといわねばならない。

4 次に、第一審被告主張の消滅時効の抗弁について判断する。

(一)  前記3(六)のうち昭和三七年一二月三一日から同四一年三月二九日までの遅延損害金は、第一審原告が当審において請求を拡張した部分であるが、右部分については遅くとも右昭和四一年三月二九日から三年の後である同四四年三月二九日の経過とともに三年の消滅時効期間が満了していること及び第一審被告が昭和五六年一月三〇日の口領弁論期日に右消滅時効を援用したことは、弁論の全趣旨によつて明らかである。

(二)  第一審原告は、消滅時効は早くても昭和五三年九月始頃から進行を開始すると主張するが、民法七二四条により消滅時効は損害を知つた時から進行すべきところ、第一審原告は損害の発生を知つて昭和四一年に提訴していることは記録に徴して明らかであるから、右主張は失当である。

また、第一審原告は、一個一体の請求権につき提訴しているから消滅時効は進行しない旨を主張するが、遅延損害金は不法行為(損害発生)の日から発生するところ、第一審原告は前記のとおり不法行為による損害の発生を知つて昭和四一年に提訴し、少くとも五億二一七八万九四七七円の損害を被り、内金五億二〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める旨訴状に明記し、右不法行為(損害発生)の日から昭和四一年三月二九日までの遅延損害金については明らかに請求していないのであり、しかも原審第一回口頭弁論期日には訴状が第一審被告に送達された日の翌日は昭和四一年三月三〇日であると明示しているのであるから、本訴請求は一部請求であることが明らかであると認めるのが相当であり、右請求部分については提訴があるといえるが、その余の部分については提訴があるとはいえず、消滅時効が進行しているというべきである。よつて、第一審原告の右主張は失当である。

さらに、第一審原告は、昭和五六年一月三〇日に時効が中断されたと主張するが、右は(一)により遅くとも昭和四一年三月二九日とすべき時効の進行開始基準日を昭和五三年九月とするものであるから失当である。

(三)  よつて、請求拡張部分に対する第一審被告の消滅時効の抗弁は理由がある。そうすると、第一審被告は、第一審原告に対し一六八二万四九三四円及びこれに対する不法行為による損害発生の日の後であり、訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四一年三月三〇日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。

三  以上の次第で、第一審原告の本訴請求は、右の限度で認容し、その余(当審での拡張部分を含む)は棄却すべきであるから、第一審被告の控訴に基づき右と異る原判決を変更し、第一審原告の控訴は理由がないからこれを棄却し、仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととし、民事訴訟法八九条、九二条、九六条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林定人 惣脇春雄 山本博文)

A表(土地損害)

昭和年

損害額(千円・千円未満切捨)

損害金起算日(昭和年月日)

二八

七一七

二八、一二、三一

二九

一〇、二七八

二九、〃

三〇

一〇、四四七

三〇、〃

三一

一一、一七六

三一、〃

三二

一一、二三七

三二、〃

三三

一二、七五三

三三、〃

三四

一五、六七三

三四、〃

三五

二〇、二四三

三五、〃

三六

二一、九一四

三六、〃

三七

二四、七九六

三七、〃

三八

一五、〇六四

三八、八、九

一五四、二九八

B表(建物損害)

昭和年

損害額(千円・千円未満切捨)

損害金起算日(昭和年月日)

三二

六、五七七

三二、一二、三一

三三

七、六七三

三三、〃

三四

八、〇四五

三四、〃

三五

八、一二〇

三五、〃

三六

九、四三二

三六、〃

三七

九、五三九

三七、〃

三八

一〇、五三七

三八、〃

三九

七、六三九

三九、七、一四

六七、五六二

【参考】一審判決

(大阪地裁 昭和四二年(ワ)第二三九一号 昭和五三年八月三〇日判決)

主文

1 被告は原告に対し、金四五、一六三、二〇六円、及びこれに対する昭和四一年三月三〇日から右支払まで年五分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4 この判決第一項は仮に執行することができる。ただし被告において金三〇、〇〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 原告

1 被告は原告に対し、金五二〇、〇〇〇、〇〇〇円、及びこれに対する昭和四一年三月三〇日から右支払まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行宣言。

二 被告

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決、及び仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一 請求原因

1 原告会社

原告は各種スポーツ、映画、演劇、娯楽、興業に関する事業を目的とする会社であるが、その歴史は次の通りである。

なお以下単に原告というときは、昭和三〇年三月二六日の合併迄の間については後記(一)の株式会社丸玉石川、株式会社キヤバレーマルタマ、株式会社丸玉を、その後昭和三八年七月三〇日の合併迄の間については後記(三)の国際スケート株式会社、株式会社丸玉、丸玉観光株式会社を、その後については後記(四)の丸玉観光株式会社を指すものとする。

(一) 株式会社丸玉石川(本店大阪市南区西櫓町二番地)は昭和六年一〇月二九日設立され、昭和八年一二月六日商号を株式会社キヤバレーマルタマに、昭和一四年五月一一日本店を神戸市兵庫区湊町二丁目三五番地の三に、昭和一六年四月一日商号を株式会社丸玉に、昭和二九年二月二〇日本店を大阪市南区西櫓町二番地に各変更したが、昭和三〇年三月二六日後記(三)の国際スケート株式会社に合併されて解散した。

(二) 日本石炭鉱業株式会社(本店大阪市阿倍野区橋本町六一番地)は大正一四年一〇月八日設立され、昭和二五年二月一日本店を京都市東山区祗園町南側五二五番地に変更し、近江観光株式会社(本店大津市山上町九番地)は昭和二〇年一二月二八日設立されたが、いずれも昭和三〇年三月二六日後記(三)の国際スケート株式会社に合併されて解散した。

(三) 国際スケート株式会社(本店京都市下京区四条通寺町東入御旅町四〇番地)は昭和二八年三月二三日設立され、昭和三〇年三月二六日右(一)の株式会社丸玉、右(二)の日本石炭鉱業株式会社及び近江観光株式会社を合併し、昭和三〇年四月一八日商号を株式会社丸玉に、昭和三七年七月三日商号を丸玉観光株式会社に各変更したが、昭和三八年七月三〇日後記(四)の丸玉観光株式会社に合併されて解散した。

(四) 株式会社キクオ書店(本店京都市中京区河原町通三条上ル恵比須町四三〇番地)は昭和二三年七月一〇日設立され、昭和三八年四月二〇日商号を丸玉観光株式会社に、本店を京都市中京区御池通烏丸東入笹屋町四三五番地に、昭和三八年七月一九日本店を京都市下京区四条通寺町東入御旅町四〇番地に各変更し、昭和三八年七月三〇日右(三)の丸玉観光株式会社を合併したが、これが現在の原告である。

2 本件土地上の建物の変遷

(一) 原告は、昭和七年ころから別紙第一目録記載の宅地四筆(以下本件土地という。)の地上に存した木造三階建建物の二階部分を、次いで昭和八年右建物全部を訴外石川文右衛門から賃借し、キヤバレー営業をしていたところ、右建物は、昭和一三年一月一三日火災により北側部分約三分の一が焼失した。

(二) 原告は、右火災の後、右建物の残存木造部分に客席等を設け、焼失した部分の跡に鉄筋コンクリート造三階建部分(南側が開口したコの字型で、開口部で右木造部分に接続する。しかし、これだけでは、独立の建物としての構造も効用も具備していない。)キヤバレー用舞台として増築し、昭和一三年七月一日この両者を一体化してキヤバレー用建物としてキヤバレー営業を再開した。

(三) ところで、原告は、右増改築に関連して、石川文右衛門に対して必要費等返還請求訴訟を提起したが、右建物は、右訴訟の係属中の昭和二〇年三月一四日戦災により全焼、滅失し、焼跡にコの字型部分のコンクリート造の柱及び外壁の残骸を止めるだけの状態となり、独立の建物とはいえなくなつた。

(四) 原告は、昭和二二年ころ右残存のコンクリート柱等を内部に包み込むように取り入れ、添え柱を建てたりした木造建物を建築し、同年二月一四日キヤバレー「マルタマ」を開店した。

(五) 他方、原告と石川文右衛門との前記紛争について、昭和二二年五月石川文右衛門が本件土地上に存する一切の物件が原告の所有に属することを認め、原告に対し本件土地を賃貸する旨の訴訟外の和解が成立した。

(六) その後、前記(四)の再建建物も、昭和二二年一二月二三日火災により南側の一部が焼失したため、原告は、その部分を補修するとともに、更にその南側に接続して建物を拡張増築し、昭和二三年二月一四日ダンスホールとして開店した。この増築部分は、従前の建物に付加して一体をなすものであつて独立した建物としての構造を具備していない。

(七) ところで、本件の前記戦災建物については、大阪市南区役所、南税務署において調査のうえ、家屋台帳が閉鎖され、昭和二四年四月二八日建物取毀を原因とする抹消登記手続にともない同建物登記簿も閉鎖された。他方、原告が建築した前記(四)の建物については、昭和二四年六月一四日別紙第二目録記載の建物として原告のため所有権保存登記された。

(八) 原告は、昭和二六年三月五日石川文右衛門(昭和二五年七月一七日死亡)の相続人である訴外石川文彦及び石川シマから本件土地を買い受け、昭和二六年四月九日その所有権移転登記手続をした。その後、本件土地上の建物は、前記(六)の構造の建物(別紙第二目録記載)に増改築を重ねた結果、被告のために後記差押登記された昭和二八年一一月二七日現在、別紙第三目録記載の構造となつた。

3 本件差押の経緯

(一) 石川シマ及び石川文彦は、石川文右衛門の相続財産はないとして相続税を〇円とする申告をしたが、東住吉税務署担当係員は、別紙第三目録記載の建物が石川文右衛門が戦前から所有していた建物と同一であり、石川シマ及び石川文彦がこれを相続したと判断し、同人らに修正申告するよう指示した。同人らは、右指示に従つて修正申告したが、結局右相続税を滞納した。

(二) 東住吉税務署長は前記閉鎖された家屋台帳の復活登記が昭和二八年六月一八日にされるのをまつて、同年七月一三日前記相続税の滞納処分として旧国税徴収法(明治三〇年法律第二一号)にもとづき別紙第三目録記載の建物を差し押えた(以下これを本件差押という。)。そして、右差押登記のため、同月一六日石川シマ及び石川文彦の共有名義により別紙第四目録記載のとおり保存

登記手続をしたが、その後手続的に誤りがあるとして、同年一一月二七日、先にされた建物の滅失登記が錯誤によるものとして別紙第五目録記載のとおり代位による回復登記手続をし、更に同日別紙第四目録記載のとおり表示更正をしたうえ、本件差押登記手続をした。

(三) 原告は被告に対し大阪地方裁判所に右差押登記の抹消登記手続等を求める訴えを提起し(以下この訴訟を前訴という。)たところ同裁判所は昭和三四年五月二六日原告の請求を棄却した(同庁昭和二八年(ワ)第三三七七号)が、この控訴審である大阪高等裁判所は右差押の対象とされた物件は建物としては滅失していることを理由として昭和三八年二月二五日原判決を取消し、原告の請求を認容する判決をし、この判決は上訴期間の経過により昭和三八年三月一九日確定した(同庁昭和三四年(ネ)第八二八号)。

4 本件差押の違法性

(一) 本件差押は、戦災により滅失し建物の残骸にしかすぎなくなつた物を、建物としてされた点において違法である。右の点は、前訴控訴審の確定判決によつて既判力が生じている。

(二) 右物件が前記2(五)の通り原告の所有であるにもかかわらず、これを石川文右衛門の相続財産に属するものとして差し押えた点において違法である。なお、原告の所有権取得についての対抗要件は、右2(七)の通り旧建物について昭和二四年四月二八日滅失登記がされ、当時の新建物について同年六月一四日原告のために所有権保存登記されていることで実質的に具備されている。

5 本件差押についての被告の過失

(一) 本件差押は、東住吉税務署担当係員が以下の事実を十分知りながらしたものである。

(1) 本件土地上の戦災後の残存物件は、鉄筋三階建建物のコの字型部分のみであつて、南側開口部には元来壁は存在せず、しかも屋根は全く用をなさず、独立した建物としての形態を有しないことは外観上明らかであり、この状態は、昭和二二年原告が木造建物として復興するまで継続した。

(2) 右の状態に基づき、家屋台帳は、担当係員の調査により職権で閉鎖された。

(3) 石川文右衛門は、昭和二二年五月右残存物件が原告の所有であることを認め、本件土地を原告に賃貸した。右の契約については、昭和二三年三月一二日公正証書が作成された。

(4) 昭和二四年四月二八日石川文右衛門の申請により戦災建物の抹消登記がされた。

(5) 原告は、昭和二二年二月ころ、前記残存物件を一部取り入れた木造建物を新築し、昭和二四年六月一四日その保存登記手続をした。

(6) 原告は、昭和二六年三月五日右建物の敷地である本件土地を買い受け、同年四月九日その所有権移転登記手続をした。

(二) 原告の取締役木下一郎は、昭和二六年一二月ころ及び昭和二七年秋ころ東住吉税務署に出頭し、担当係員に関係書類を提示して本件土地上の建物が原告の所有であつて石川文右衛門の相続財産でないことを説明した。したがつて、担当係員としては、本件差押前に事実調査をすべきであつて、この調査をすれば、原告の所有であることが判明したはずであるにも拘らずこの調査を怠り、本件差押をした。

(三) 以上のとおり、本件差押は、東住吉税務署長及び担当係員の故意又は過失によつてされたものである。

6 原告の損害

原告は、本件差押当時、粗末な本件土地上の木造建物を取り毀して、昭和二八年一二月着工、昭和二九年一〇月完成の予定でビル建築の計画をたて終り、その資金準備もして右計画を具体化しようとしていた。ところが、本件差押により、たとえそれが無効であつたとしても、本件土地上の建物を差押当時の状況のままで使用するほかなく、前記計画の具体化は、本件差押が解除される昭和三八年まで待たねばならなかつた。原告は、そのため、以下の損害を被つた。

なお、本件差押が本件土地上にビルを建築してこれを使用収益する権利を妨害することに通ずることは、大阪の復興状況、特に道頓堀界隈における同種営業の復興状況からみて何人においても容易に認識しえた。

原告は右建築予定建物の建築資金としては、手許金即ち、現に保有している現金、預金及び確実に見込み得る営業利益計一億円をこれに充てることができたほか、原告その他関係人の所有する別紙第三表記載の不動産を担保として幸福相互銀行から必要な資金を借入れることが可能であつた。昭和二八年一〇月当時の右不動産の価格は次の通り計八六二、九四八、〇〇〇円以上であつて、この六割の五一七、七六八、八〇〇円の貸出可能額があるとして、既貸出額は一二七、二〇〇、〇〇〇円以下であるから、なお三九〇、五六八、八〇〇円の貸出担保余力があつたし、ほかに建築予定建物を担保とすることも可能であつた。原告は昭和二八年以降現に行つた建築、買受その他の営業活動のほかに本件土地上に右のようなビルを建築する資力と計画を有していたのである。

道頓堀土番(別紙第三表1ないし4)  一九二、〇〇〇、〇〇〇円

橋本町自宅土地(同表6、7)      一〇、一五〇、〇〇〇円

四条丸玉土地(同表9、10、12、13)  一五六、〇〇〇、〇〇〇円

紅葉館土地(同表14ないし20、24)     六、五七二、〇〇〇円

晴嵐荘土地(同表27、28)         四、一七六、〇〇〇円

京都祗園土地(同表30)         一四、一五〇、〇〇〇円

京都333土地(同表32、33、35、36) 一三三、九〇〇、〇〇〇円

道頓堀建物(同表5)                   〇円

橋本町自宅建物(同表8)        二〇、〇〇〇、〇〇〇円

四条丸玉建物(同表11)                  〇円

紅葉館建物(同表21、22、23、25)    七四、〇〇〇、〇〇〇円

アイスパレス建物(同表26)      二〇〇、〇〇〇、〇〇〇円

晴嵐荘建物(同表29)          一六、〇〇〇、〇〇〇円

京都祗園建物(同表31)         一六、〇〇〇、〇〇〇円

京都333建物(同表34)        二〇、〇〇〇、〇〇〇円

原告は他に種々の投資を現にしているが、その他に本件土地に右主張のようなビルを建築する資金的余裕がなおあつたのである。

(一) 原告が新築予定ビルを利用して得べかりし営業利益を喪失したことによる損害

原告が建築を予定していたビル(以下新築予定ビルという。)は、地下一階、地上八階建の鉄筋コンクリート造りであつて、地階及び一階ないし五階はそれぞれ七九九・九九平方メートル(三階及び四階部分はそれぞれ吹抜け部分五五七・七平方メートルを含む。)、六階が四七二・七二平方メートル、七階及び八階がそれぞれ一八四・七九平方メートル、総床面積は五、六四二・二四平方メートルである。原告は、右ビルの地階を機械室、一階をパチンコ機械四三八台を用いてパチンコ営業、二階ないし四階を芸術喫茶、五階をアートクラブ及びギヤラリー、六階及び七階を貸スタジオ、八階を事務室その他に使用する計画(以下第一次計画という。)であつたが、必ずしもこれらの営業に限定するわけではなく、状況次第で他の営業に転換する計画(右芸術喫茶によつて予定利益をあげられなかつた場合、これを直ちに洋酒喫茶に変更する計画。以下第二次計画という。)であつた。

なお、芸術喫茶とは一般客にヌードモデルのデツサン又は撮影の場を与える喫茶店、アートクラブとは芸術愛好者を対象としたクラブの雰囲気を持つた芸術喫茶であつて有名画伯を特別会員として加え酒類も提供するもの、貸スタジオとは画学生など更に高度の絵画愛好家を対象とした階段式スタジオである。

(1) 第一次計画による損害

(イ) 得べかりし営業利益 八四三、一三九、五七〇円

別紙第一表のとおり、パチンコ営業による利益は従前の建物における昭和三〇年一〇月一日から昭和三八年八月三日までのパチンコ機械(その間の台数は二七七台ないし二九三台)の一台当り平均利益額に四三八台を乗じて算出し、ギヤラリー営業による利益は一日二万円、稼働率五〇パーセントとして一ヶ月三〇万円の額で計算した。なお、右利益は、昭和三〇年一月一日から昭和三九年七月一四日まで請求できるが、計算の便宜上、昭和三〇年一〇月一日から昭和三九年七月一五日までを計算した。

(ロ) 新築予定ビルの減価償却費及び借入金利息の

合計 一二一、一一一、三一四円

(a) 減価償却費 六三、六二三、八一四円

(b) 借入金利息 五七、四八七、五〇〇円

(ハ) 損害 七二二、〇二八、二五六円

(イ)から(ロ)を差し引いたもの。

(2) 第二次計画による損害

(イ) 得べかりし営業利益 六九四、五八九、〇四一円

別紙第一表のとおり。洋酒喫茶営業による利益は原告が経営する洋酒喫茶コンパで挙げた利益をその床面積(六〇七・四七平方メートル)で除した額に新築予定ビルにおける洋酒喫茶予定面積を乗じて算出した。計算方法は、第一次計画の場合と同じである。

(ロ) 新築予定ビルの減価償却費及び借入金利息の

合計 一二一、一一一、三一四円

第一次計画の場合と合じ。

(ハ) 損害 五七三、四七七、七二七円

(イ)から(ロ)を差し引いたもの。

(3) 新築予定ビルを一般的なレジヤー営業に使用したであろう場合の損害

(イ) 得べかりし営業利益 一、二六三、一九五、七七六円

原告は、前記の主張が認められないとしても、昭和二九年末までに本件土地面積一杯に高層ビルを建築し、その各階においてパチンコ等のレジヤー営業を経営したであろうことは明白である。したがつて、昭和三〇年一〇月一日から昭和三九年七月一五日までの間、原告が本件土地上の建物の一階で現に経営したパチンコ営業により得た利益一五七、八九九、四七二円を基礎としてこれに新築予定ビルの階数の八を乗じて計算すると右のとおりとなる。

(ロ) 減価償却費、借入金利息及び原告が現に得た利益の合計 二七九、〇一〇、七八六円

(a) 減価償却費及び借入金利息の合計 一二一、一一一、三一四円

(b) 現に原告が得た利益 一五七、八九九、四七二円

(ハ) 損害 九八四、一八四、九九〇円

(イ)から(ロ)を差し引いたもの。

(二) 原告が新築予定ビルを自家営業に使用しえなかつたことによる損害

(1) 新築予定ビルを利用し得べかりし利益 二七六、三八〇、五三三円

原告は本件差押により新築予定ビルを自家営業に供するという利益を侵害されたものであり、その損害はビルの賃料相当額であるところ、昭和三〇年一月一日から昭和三八年七月一四日迄の賃料相当額は右の額となる。

(2) 原告が従前の建物を現に使用したことによる利益を控除後の得べかりし利益二五八、三七三、九四六円

原告が現に使用したことによる利益は、新築予定ビルの総床面積五、六四二・二四平方メートルのうち、従前の建物の床面積三六七・六〇平方メートル相当分の占める割合を右(1)の額に乗じて計算すれば十分である。

(3) 借入金利息 五七、四八七、五〇〇円

(4) 損害 二〇〇、八八六、四四六円

(2)から(3)を差引いたもの。

なお、本項の損害については、減価償却費を控除する必要はない。

(三) 新築予定ビルの建築費値上りによる損害

(1) 本件差押当時の建築費 一二六、四〇〇、〇〇〇円

(2) 本件差押解除後昭和三八年六月ころ契約同年八月ころ着工の場合の建築費 一八七、八〇〇、〇〇〇円

(3) 損害 六一、四〇〇、〇〇〇円

(1)と(2)の差額。

(四) 本件土地の更地としての利用を阻害されたことによる損害 九〇、一九一、七一二円

(1) 本件土地の昭和二九年一月一日から昭和三九年七月一四日までの間の賃料相当額の合計(その各年毎の額は別紙第六表の本件土地の相当賃料額欄に記載のとおり、但し三九年は一〇、二五二、七八六円) 九六、四七七、三四六円

(2) 原告が本件土地を現に利用したことにより得た利益 六、二八五、六三四円

前記(二)(2)と同じ。

(3) 損害 九〇、一九一、七一二円

(1)から(2)を差し引いたもの。

(五) 各損害の関係

前記(一)の(1)ないし(3)及び(二)の各損害は、選択的関係にあり、原告は、右損害の一つと前記(三)の損害の合計額を主位的に主張し、前記(四)の損害は予備的に主張する。

7 結論

原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項による損害賠償として、前記6の損害の内金五二〇、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する不法行為後である昭和四一年三月三〇日から右支払まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二 請求原因に対する答弁

1 請求原因1の事実は不知。

2 同2の(一)のうち、本件土地上の建物の一部が火災により焼失したこと、(二)のうち、右焼跡に残存部分に隣接して鉄筋コンクリートタイル張り三階建の建築されたこと、(三)のうち、建物が戦災により右鉄筋コンクリートタイル張り三階建部分を残して焼失したこと、(七)の事実、(八)のうち、本件土地について原告主張の登記がされたこと、以上の事実は認めるが、その余の事実は不知ないし争う。

3 同3の事実は認める。

4 同4は争う。

本件差押は、適法である。

(一) 本件土地上の建物は、鉄筋コンクリート造りの建物であつたため、戦災によつて若干の被害を受けながらも、建物として残存していた。

(二) また、本件土地上の建物が当初石川文右衛門の所有であつた以上、原告がその主張のように補修ないし増築したとしても、それらの附加物は、附合により石川文右衛門の所有に帰したというべきである。

(三) 本件土地上の建物の所有権が訴訟外の和解により原告に移転したとしても、右建物につき原告のために所有権移転登記がされていない以上、原告はその所有権取得を差押債権者である被告に対抗できない。

(四) なお、前訴の判決によつて確定したのは、差押登記の抹消登記手続請求権の不存在だけであるから、本件差押の適否については、何の既判力も生じていない。

5 同5は争う。

(一) 大阪国税局徴収官が昭和二八年一月二二日滞納処分のため、大阪市南区役所税務課で固定資産税台帳を調査したところ、右台帳上では本件土地上に(イ)石川文右衛門名義の鉄筋コンクリート陸屋根造三階建店舗及び(ロ)原告名義の木造トタン葺平屋建ダンスホールの各建物が存在した。

そして、原告名義建物の保存登記及び家屋台帳においても、木造トタン葺平屋建ダンスホールとなつていた。一方、昭和二八年七月ころの本件土地上の建物の現況は木造トタン葺平家建部分と鉄筋コンクリート造部分とが接して存しており、木造部分は原告名義の右(ロ)の建物に、コンクリート造部分は石川文右衛門名義の右(イ)の建物に該当するものと判断される状態であつた。そこで、前記徴収官は右鉄筋コンクリート造り建物が石川文右衛門の所有に属すると認めて、本件差押をした。

(二) また、戦災によつて残存した鉄筋コンクリート部分は、昭和二一年ころの家屋税賦課のための実地調査により建物として残存していることが確認され、右建物は、昭和二五年ころ石川文右衛門の所有物件として固定資産税台帳に登載され、右固定資産税も同人に課税されていた。

(三) 石川文彦及び石川シマも相続税の納付について昭和二七年一一月東住吉税務署に出頭した際、右建物が石川文右衛門の相続財産であることを述べ、右建物で物納する申出があつた。他方、前記徴収官の調査に対する原告の返答は、あいまいで納得のいく説明もなかつた。

(四) 以上の事情を考慮して右建物が石川文右衛門の所有に属したと判断してした本件差押には、過失はない。

6 同6は争う。

(一) 原告主張のビル建築計画自体が存在したか疑問であるし、右計画が存在したとしても、右計画には、具体性・現実性がなかつた。また、原告は、右計画を実行するに足る資力を有しておらす、借入金による実行も現実的でない。

(二) 原告が主張する損害は、いずれも被告において予見しえた損害ではない。

三 抗弁

1 石川シマ及び石川文彦の滞納税は昭和二八年一一月末現在五、三二〇、六七〇円であつたところ、原告はこれを第三者納付することにより、差押の解除をえ、原告が主張する損害の発生を容易に回避することができたにもかかわらず、このような措置をとることなく、慢然と損害が発生するにまかせていた。したがつて、原告は、右第三者納付に伴う損害等の賠償を求めるならば格別、原告が主張する損害の賠償は求めえない。

2 原告が本件土地上の建物を利用してパチンコ業を営み現に得た利益一五七、八九九、四七二円は、請求原因6(四)の損害額から控除すべきである。

四 抗弁に対する答弁

すべて争う。

第三証拠関係 <略>

理由

一 書証の成立

<証拠略>

二 差押え

請求原因3のとおり、東住吉税務署長が昭和二八年七月に石川シマ及び石川文彦の相続税を徴収するため別紙第三目録記載の建物の差押をしたことは当事者間に争いがない。

また請求原因1の事実は<証拠略>によつて認められる。

三 差押の違法性

そこで本件差押の違法性について判断する。<証拠略>によると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

1 本件土地は石川文右衛門の所有であり、同人はこの地上に、第一号木造瓦葺セメント張二階建百貨店一棟建坪三八・九一坪外二階三七・五坪、付属建物第二号木造鋼板葺三階建百貨店一棟建坪一二二・〇六坪外二階一一〇・〇五坪外三階一〇七・五二坪、第三号木造硝子葺平家建売店一棟建坪三・二四坪を所有し、これを原告に賃貸していたが、昭和一三年一月一三日右建物のうち北側約三分の一にあたる右第一号物件は火災により焼失した。

2 原告は昭和一三年三月一〇日石川文右衛門と契約して、原告がその費用により、右焼失部分に建物を建築し、かつ不焼失部分をやや改造するが、その再建、改造部分は石川文右衛門の所有とする旨を約し、原告は海上静一の設計により徳永偕に請負わせて右建築、改造をした。

3 右建築、改造後の建物は、本件土地の南側に木造瓦葺三階建(一階一二二・〇六坪、二階一一〇・〇五坪、三階一〇七・五二坪)を配し、この北側に接し道頓堀筋に面して鉄筋コンクリート造タイル張三階(一階四六・五二坪、二階八・七三坪、三階五・一五坪)を築造したものであつたが、この両者は結合して一体化しており、この両者の間に壁はなかつた。この木造部分には、客席、厨房、酒場、ダンスフロアーが、コンクリート造部分には、ステージ、バンドピツトが存し、これらは一つの空間となり一体としてキヤバレーとして用いられ、ステージで演じられる演劇を客席で見物できる構造となつていた。このように、右コンクリート造部分は、右木造部分と一体となつて始めて建物としての利用価値が生ずるものであつた。

4 右コンクリート造部分の構造は次の通りであつた。

ア 全体としては、東西一五・七メートル、南北一〇メートル、高さ約一〇メートルの箱形をしており、その東西北面には壁があるが、南面には壁がなく、右木造部分と区切りなくつながつていた。その内部東側には階段室があつて屋上に通じており、二階両脇に照明室があるが、階段室と照明室の面積計は約八・七三坪であり、その余の部分は吹抜けとなつていた。屋根は陸屋根であり、その東南端にある階段室約五・一五坪が三階と呼ばれていた。このコンクリート造部分は一部三階建とは言うものの、天井の高い一階建で南側に壁がなく、開いた箱のような構造のものであつた。

イ 屋根部分には右のとおり東南端に階段室があるほか南部に約一〇坪の明り取りのガラス張り部分があつた。この屋根も鉄筋コンクリートで造られ、その上に防水のため数センチのアスフアルトが張られていた。

ウ 右コンクリート造部分には、縦横各約六〇センチメートルの鉄筋コンクリート製の主柱が計一三本、そのうち六本は北端に、三本は南端の東又は西に寄つた所に、四本は中央部の東又は西に寄つた所に存していた。各主柱の表面から約四センチメートルの所には計一二本の鉄筋が入つていた。

エ 右コンクリート造部分北側には右ウのとおり六本の主柱があつたが、この主柱に接しては壁はなかつた。しかし、この主柱の外側に東西約四〇センチメートル、南北八〇センチメートルの支柱があり、この間にコンクリート造厚さ約一〇センチメートルの壁が設けられ、この壁は右支柱と鉄筋でつながつていた。この支柱と壁とは右コンクリート造部分本体の強度とは関連しないもので、これを取除いても本体の強度に影響を与えない性格のものであつた。右の壁は装飾壁と呼ばれ、その表面はガラス、テラゾー、タイルなどで装飾されていた。

オ 右コンクリート造部分の東側の壁は、厚さ約二〇センチメートルの鉄筋コンクリート造であつて、その東側に建つていた朝日座の建物の西側の煉瓦造壁と接着して造られていた。この壁に接したところには柱はなく(ただ、その北端に約五〇センチメートル角の柱が一本あつた)、この壁は建造物全体の構造の強度を保つ目的のものではなかつた。

カ 右コンクリート造部分の西側の壁は、厚さ約二〇センチメートルの鉄筋コンクリート造であつた。ただ、その一階部分には、高さ約二メートル、幅約一・三メートルの部分三ヵ所には壁がなく、木造のドアが取付けられていた。

キ 右コンクリート造部分の南側は前記のとおり木造部分と連結しており、ここには壁はなかつた。ただ、前記東、西の照明室の南側計四・五メートルの部分には、その照明室の壁があつたが、外部よりの風雨を防ぐ目的を持つたものではなかつた。

5 昭和二〇年三月一四日本件土地周辺には空襲があり、本件土地上の建物も焼夷弾又は他からの引火により火災を受けた。この被害は次の通りであつた。

ア 本件土地上の建造物のうち本造部分は全て焼失した。

イ コンクリート造部分はその材質上焼失することはなかつたが、その内部のステージ、フロアー等の木造部分や、内部に大量に置かれていた舞台設備、家具その他の可燃物は全て焼失した。

ウ コンクリート造部分の屋上部分にあつた明り取りのガラス部分は全て壊れ、焼けただれた金具を残すのみで、雨水が流入する状態となつた。また、屋上のコンクリートの上に張られていたアスフアルトは火事の熱により焼失する等により防水の機能を失い水が滲み通る状態となつた。

エ コンクリート造部分の北側の壁(装飾壁)は、そこに張りつけられていたガラス、テラゾー、タイル等は焼け落ちたが、その下地のコンクリート部分は倒壊することはなかつた。したがつて、内部から道頓堀通りを見透せるというものではなかつた。

オ コンクリート部分の東側の壁は従前のまま存立していた。

カ コンクリート部分の西側の壁は残つたが、防水のために張られていたタイルは削落した。木造のドアーは焼失したので、ここからは自由に出入できるようになつた。

キ 右の火災にも拘らず残存した鉄筋コンクリート造の柱壁、天井は、少なくとも他に力を加えなければ倒壊せずになお残存するだけの強度は存していたものの、その当時に利用できた検査方法ではそれ以上にどの程度の強度であるかは明らかではなかつた。

6 右の通り被災したコンクリート造部分(以下本件コンクリート残存物件という。)はしばらくそのまま放置されていたが、原告は昭和二一年末頃本件土地上に建物の建築に着手し、同二二年二月頃これらを完成してここでキヤバレー営業を再開した。右の建築状況は次の通りであつた。

ア 本件コンクリート残存物件の内部には新たに木造にて二階及び三階各約三七・八坪を設けた。この二、三階を保持するために一四本の木造の柱を立てた。この柱のうち、四本は残存物件の鉄筋コンクリート製主柱に、五本はその壁に添えて立てられ、その余の五本は独立して立てられた。新たに設けられた二、三階の下には木製の梁が新たに設けられた。この梁は右の木製の柱によつて支えられており、残存物件のコンクリート主柱又は梁は右の木製梁を支える構造とはなつていなかつた。このように二、三階の新築によつて生ずる重さや力を本件コンクリート残存物件にかけないようにしたのは、この設計を担当した建築士の海上静一において右物件が右のような重さ、力に耐えうるとの確信を得ることができなかつたからであつた。

イ 従前の屋上の上には床を設け、屋根をふいて部屋を作つた。従つて従前の屋上は雨風を防ぐ役目をする必要がなくなつた。

ウ 本件コンクリート残存物件の西側の壁は防水を施し、ドアーを設けそのまま利用きれた。

エ 本件コンクリート残存物件の北側の壁は補修を加え、表面に装飾をして使用した。

オ 本件コンクリート残存物件の南側に接続して木造二階建を設けたが、この間には壁などによつて仕切られることはなく、その両者は連続した空間を形成し、一体としてキヤバレーとして利用された。

7 右6の建物のうち南側の一部は昭和二二年一二月二三日火災により焼失した。原告は直ちにこれを改修すると共に木造建物部分を更に南方に継ぎ足して建築した。その後、内部に小さな模様替や一部の付属建物の改築はあつたが、右建物の基本的な部分は本件差押の昭和二八年当時においても変りはなかつた。

8 石川文右衛門は昭和二二年五月本件土地上の本件コンクリート残存物件を木下弥三郎に譲渡してその引渡をし、木下弥三郎はこれを原告に譲渡し原告はこれを右の通り営業に利用したが、右譲渡につき不動産登記簿上の所有権移転登記はされず、後記四3認定のとおり昭和二四年四月その不動産登記簿は閉鎖された。

以上認定のとおり、木造、コンクリート造部分が一体となつていた建物のうち、木造部分は焼失し、残存のコンクリート造部分のみでは独立の利用価値はなく、しかもその残存のコンクリート造部分は南側は殆んど壁がなく吹きざらしで風雨の入り込むままであり、屋根は一部破れて雨が流入し破れていない部分も防水の効がなくなり水が漏れ出す状況であり、西側も計約四メートルに亘り壁がなく開口し、残存のコンクリート造部分の強度も当時では不明の状態になつていたのであつて、これら右認定の各事実によると、本件コンクリート残存物件は既に昭和二〇年三月一四日の空襲直後の時点において、法律上は建物としての性格を失い滅失するに至つたものと言うべきである。従つて、本件コンクリート残存物件を独立の建物としてした本件差押はこの点において違法である。

更に、右コンクリート残存物件が法律上建物ではない以上、その所有権取得の対抗要件として建物としての登記は必要ではないのであつて、これが独立の物であるとするならば引渡があり(右3認定の事実)、土地の一部であるとすれば土地所有権の取得につき登記があり(当事者間に争いのない請求原因2(八)の事実)、いずれにしても原告はその所有権取得を被告に対抗できる訳であるから、本件差押は滞納者に属しない物を差し押えた点においても違法である。

四 違法差押の過失

本件差押についての過失につき判断する。<証拠略>によれば次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足る証拠は存しない。

1 本件土地は昭和二六年三月五日石川シマ及び石川文彦より原告に売却され、昭和二六年三月九日受付をもつて石川文右衛門より石川文彦、石川シマへ相続を原因とする所有権移転登記が、次いで昭和二六年四月九日受付をもつて同人らより原告へ売買を原因とする所有権移転登記がされ、本件差押時においてもその所有名義は原告であつた。

2 前記三2ないし4の建物は、不動産登記簿には、昭和七年六月一三日以降石川文右衛門の所有として、昭和一四年二月三日以降は次の表示で登記されていた。

第一号 木造瓦葺三階建食堂一棟

建坪一二二坪六勺、外二階坪一一〇坪五勺、外三階坪一〇七坪五合二勺

附属建物第二号 鉄筋コンクリート造タイル張三階建食堂一棟

建坪四六坪五合二勺、外二階坪八坪七合三勺、外三階五坪一合五勺、地下室二八坪五合八勺

3 右2の建物の不動産登記簿の登記用紙は、昭和二四年四月二八日受付をもつて石川文右衛門の申請により取毀しを理由として閉鎖された。

その後昭和二八年に至り本件差押に際し代位による回復登記がされたことは請求原因3(二)のとおりである。

4 右2の建物は家屋台帳には、昭和二〇年三月一四日の戦災の時点においては、次の通り記載されていた。

床面積    賃貸価格       沿革

四〇一・七一 二五、二七八 家屋税法第七一条二依リ賃貸価格ヲ定ム

家屋明細

区分    構造    床面積一階  一階以外     計

食堂 鉄筋混凝土三階建 四一・二〇   九・八六  五一・〇六

食堂 木造瓦葺三階建 一二三・二七 二二七・三八 三五〇・六九

5 右家屋台帳については、昭和二〇年六月一三日頃、権限のある者により、沿革欄に、

戦災ニ因リ

昭和二〇年三月一四日滅失

昭和二〇年六月一三日閉鎖

との記載がされ、家屋明細の記載の全部が線で抹消された。

6 昭和二一年八月ころ南税務署職員小林信夫及び大阪市南区役所職員岡田幸太郎は本件土地に至り前記三5認定の本件コンクリート残存物件の内部に立入つて調査の上これがなお建物として残存するものと認め、家屋台帳のうち右5認定の「戦災ニ因リ」の記載の下に「残存ノ分」と付加記入し、同じ行の床面積の欄に「五一・〇六」、賃貸価格欄に「三、二一二」と記入した。右調査においてはコンクリート造建物はなるべく滅失の扱いとはしない方針であつた。このような記載はされたものの、家屋台帳は閉鎖された家屋台帳の綴りに綴られていた。

7 昭和二八年六月に東住吉税務署職員小林信夫より右建物は残存している筈である旨の連絡を受けた南区役所職員は、前記三6、7の建物を外部より見た上、家屋台帳を復活する手続をとり、家屋台帳のうち右5、6認定の記載の次の行の床面積欄に「五一・〇六」、沿革欄に「昭和二八年六月一八日復活、昭和二八年六月一八日登録」と、右4認定の記載の次の行の区分欄に「店舗」、構造欄に「鉄筋コンクリート造三階建」、床面積一階欄に「四一・二〇」、一階以外欄に「九・八六」、計欄に「五一・〇六」と記載した。

8 固定資産課税台帳には、本件差押当時右三2ないし4の建物が石川文右衛門の所有として記載されていた。その記載の建物の表示は、従前は鉄筋コンクリート造部分と木造部分の両者を含んだものであつたが、本件差押当時にどのようになつていたかは明らかではない。

9 石川文右衛門は昭和一四年一月一一日南区役所に対し前記三3の建物についてその状況をほぼ正確に記載した図面を付して家屋異動届を提出していたが、この届書の綴は図面台帳と呼ばれて本件差押当時にもなお保管されていた。

10 前記三6の通り建築された建物につき、不動産登記簿上、昭和二四年六月一四日原告の申請により、別紙第二目録記載のとおりの表示により所有者原告のため保存登記がされ、この登記は本件差押時においても変更がなかつた。

11 前記三6の通り建築された建物について、家屋台帳にも別紙第二目録記載とほぼ同様の表示により所有者原告との記載がされた。

12 東住吉税務署及び大阪国税局の徴収担当職員は本件差押をするに当つて次の調査をした。

ア 右差押の基本となつている相続税債権は申告によつて確定しているが、滞納者石川シマ及び石川文彦は東住吉税務署職員の小林信夫の指導により本件コンクリート残存物件を前所有者石川文右衛門より相続した旨を申告していることを確認した。

イ 不動産登記簿を閲覧して右1、10の事実を確認した。しかし前記2、3の事実は発見できず、他に本件コンクリート残存物件についての登記は発見できなかつたため、これは未登記と考えた。

ウ 南区役所において家屋台帳及び固定資産課税台帳を閲覧し、かつ東住吉税務署員小林信夫に面接して右4ないし3の事実を確認した。小林信夫より課税には自信があるとの供述を得たが、更に詳しくその理由、特に右6認定の際の本件コンクリート残存物件の状況について説明を求めることはしなかつた。

エ 石川文彦に面接し、本件土地は前記1のとおり売却され本件コンクリート残存物件以外に納税に充てる財産はなく、これを差し押えてほしい旨の供述を得、同人が前記三2の建物の権利証を所持していることを確認した。

オ 本件土地前部の道頓堀通より本件土地上の建物の状況を概観した。これにより少なくとも、本件土地上の建築物のうち木造部分は戦後に建築されたものであること、本件コンクリート残存物件も少なくとも改造は加えられており、これと木造部分は一体として原告により営業用に利用されていることを知ることができた。しかし、それ以上に、本件土地上の建物の内部に立入ることを求め、あるいは使用している原告に本件コンクリート残存物件の状況につき説明を求める等はしなかった。

カ なお、相当職員らは、昭和二〇年三月に本件土地付近には空襲による火災があつたこと、従つて前記三2ないし4の建物のうち木造部分はこれにより焼失し、コンクリート造部分も被災している筈であることを知つていた。

右認定のように東住吉税務署及び大阪国税局の徴収担当職員は、差押予定建物の家屋台帳が既に閉鎖され、登記簿も見当らないこと、その同一地上に原告所有、使用の別個の建物が現存していること、右差押予定建物は空襲により被災したことがあることを知つていたのであるから、徴収担当職員としてはこれを建物として差し押えその差押を維持するに当つては、右12認定の調査に止まらず更に詳細な調査を行つてそれが建物として現存するか否かを確かめるべき義務があつたと言うべきである。そして、東住吉税務署職員小林信夫が昭和二一年八月に本件コンクリート残存物件の内部にまで立入つてこれを調査したことがあることを徴収担当職員は知つていたのであるから、同人にその当時の状況を尋ねることにより前記三5の事実のあらましを知ることができた筈であり、更に原告に対し本件土地上の建物に立入りを求めてこれを調査し、原告関係者に供述を求め、更に前記9の図面台帳を閲覧する等により、前記三5の事実をより正確に知り、また前記三3、4の事実の概要をも比較的容易に知り、本件コンクリート残存物件即ち本件被差押物が建物として現存するかどうかを知ることができた筈である。従つて、これらの調査を経ないまま本件の違法な差押をし、これを維持したことには過失があると言うべきである。

五 因果関係

旧国税徴収法による建物の差押はその建物の取毀を禁止する効力があり、差押をした国税債権者はその取毀を差止めることができるものと解される。そしてこの差押に反して「納税者ヲシテ滞納処分ノ執行ヲ免レシムル目的ヲ以テ」差押建物を取毀したときは、旧国税徴収法三二条二項、一項、現行の国税徴収法施行後は同法一八七条二項、一項により処罰を受けることとなる訳である。

本件差押は、建物でないものを建物として差し押えた点で違法であり、差押物が建物でない以上これが原告の所有であることにつき対抗要件に欠けるところもないことは前記判断の通りである。しかし、このような瑕疵のある差押であつても行政法上当然無効ではないと解する考えもあつたことは当裁判所に顕著であるし、また原告がこれを取毀したときは右の新旧国税徴収法の条項により処罰される可能性が全くなかつたものとも認められない(なお、最高裁判所昭和四一年(あ)第一六二二号同四二年一二月一九日決定、刑集二一・一〇・一四〇七)。更に原告代表者木下一郎本人尋問の結果(第二回)によれば原告は前訴の訴訟代理人であつた鈴木八郎弁護士に対し、本件コンクリート残存物件を取毀すことができるかについての専門的意見を求めたところ、同弁護士は前訴について原告勝訴の判決が確定するまでは勝手に取毀すことは許されない旨を答えたので、原告はこれを信じてその取毀しをしなかつたことが認められる。これらの事情を考慮すると少なくとも社会観念上は本件差押により本件コンクリート残存物件を取毀すことができなくなつたものと認めるべきであり、本件差押と、本件コンクリート残存物件を取毀すことができなくなつた損害との間には因果関係がある。

右の通り本件コンクリート残存物件が取毀せない以上その敷地の自由な利用が阻害されることは当然であるが、原告は本件土地全体の利用が阻害されたことを理由とする損害を請求しているのでこのような損害との因果関係について判断する。

<証拠略>によれば次の事実が認められる。

1 本件土地は登記簿上四筆となつているが互に接しほぼ長方形をなす一区画の土地である。その北側は間口二三・〇一五メートルであつて、大阪市における有数の繁華街である幅約一一メートルの道頓堀通に面し、その南側は間口一七・四二五メートルであつて幅約三・六メートルの坂町通に面している。その奥行きは三九・七九八メートルで、本件土地の東側境界は直線をなしているが、西側境界において北端より一九・六七四メートルのところで東西の幅が五・六四二メートル狭くなつている。

2 本件コンクリート残存物件は本件土地計八〇三・九二平方メートルのうち、北部の道頓堀通に面し、東側境界線に接した部分に東西の幅一五・七メートル、奥行一〇メートルの部分約一五七平方メートルを占めて存していた。本件土地のうち道頓堀通に面した部分で右物件の存しない部分は約七・三メートルであつた。

3 本件土地は右のとおり間口も広くほぼ長方形をなし全体としての面積も大きく道頓堀通のほか裏通りの坂町通にも面しているので、その最有効使用方法は全体としてレジヤー用ビル用地として利用することであつたが、右の残存物件を取毀すことができないときは、道頓堀通に面した部分が七・三メートルしかないため本件土地の有効な利用が大きく阻害される。

4 右1ないし3の事実は本件土地登記簿と現地を見ることにより容易に認識することができた。

以上認定の事実によれば、本件差押により原告は本件コンクリート残存物件敷地の利用を防げられただけではなく、本件コンクリート残存物件を取毀すことができないため本件土地全体の有効な利用を妨げられることになり、これによつて被つた損害は本件差押との間に因果関係があるというべきである。

六 昭和二八年におけるビル新築の可能性

原告は本件土地上に昭和二八年一二月にレジヤービルの建築に着工し、昭和二九年一〇月に完成する計画であつたと主張し、昭和三〇年一月よりの同ビル利用による利益を損害として請求している。そこで、右着工直前の昭和二八年一〇月頃に原告が右ビルを建築する資金を調達することが可能であつたかについて判断する。

(一) 自己資金

まず原告が借入に頼ることなく調達できた資金について判断する。原告は手許金、即ち、現に保有している預金、確実に見込み得る営業利益として約一億円を計上することができたと主張している。

<証拠略>によれば、原告が当時作成した決算報告書に記載の現金、預金等及び利益は別紙第二表に記載のとおりであることが認められ、右決算書が当時作成されたものであることよりすると右記載は真実のものと推認でき、昭和二八年一〇月における資産状態は右認定の同年八月末のそれとほぼ同様と推認される。

右認定の原告の資産のうち、現金、普通預金及び当座預金は、通常の営業を継続して行くために幾分は必要とするものである(それ故に原告もより有利な運用方法をとつていないのであろう)から、これを建築資金に投入することが可能であつたと容易に認めることはできない。積立預金、相互掛金は借入金の担保に供されることが多かつたことは証人背尾忠雄の証言(第一回)により認められ、原告は昭和二八年八月末において四三一〇万円の借入金債務を負つていたことは前認定のとおりであり(このうち一〇〇〇万円は不動産抵当権により担保されていたことは後記認定のとおり)、右積立預金、相互掛金も右借入金の担保となつていたものと推認されるから、これも建設資金に投入することはできなかつたというほかはない。

原告が昭和二八年九月より昭和三〇年二月迄に挙げた利益、そのうち本件土地上での営業で挙げた利益は右認定のとおりである。ところで、本件土地上の旧建物を取毀して原告主張のような新建物を完成させるまで一年間を要することは<証拠略>及び弁論の全趣旨により認められるところ、この間は本件土地上で営業をして収入を得ることはできないのみならず、経費支出は幾分かは必要とする訳であるから、前記認定事実よりすると昭和二八年一〇月以降昭和二九年一〇月迄の一年間に見込まれていた利益は四〇〇万円を超えなかつたものと推認され、原告代表者木下一郎本人尋問の結果(第四回)は信用できず、その他本件全証拠によるもこれを超える利益が見込まれていたと認めるに足る証拠はない。

(二) 借入可能額

次に、原告が金融機関から借入れが可能であつた金額について判断する。原告は原告及びその一族に担保として提供する充分の不動産があり、幸福相互銀行より必要額を借り入れることができたと主張している。そこでまず原告の資産、担保との関係につき検討する。

<証拠略>によれば、原告、近江観光株式会社、国際スケート株式会社、木下弥三郎、木下一郎、木下ハギエ、及び木下右門は、昭和二八年一〇月ごろ、別紙第三表記載のとおり不動産を所有していたこと、右不動産にはこのとき同表記載のとおりの抵当権が設定されていたこと、そのうち極度額八〇〇万円、一〇〇万円および五〇万円二口の分はいずれも原告が債務者、九、〇〇〇万円の分は原告、国際スケート株式会社など九名が連帯債務者であつた(なお七〇〇万円の分は原告が債務者、その他の分は所有者が債務者であつた)こと、木下弥三郎は昭和八年一一月以来原告の、会社設立以来国際スケート株式会社の、昭和二五年二月以来日本石炭鉱業株式会社の、昭和二〇年一二月以来近江観光株式会社の代表取締役であり、木下一郎は弥三郎の長男で昭和二六年六月以来原告の代表取締役、会社設立以来国際スケート株式会社の取締役(のち昭和三〇年三月以後代表取締役)、昭和二五年二月以来日本石炭鉱業の代表取締役、昭和二八年四月以来近江観光株式会社の取締役であり、木下ハギエは弥三郎の妻で昭和二一年一月以来原告の、会社設立以来国際スケート株式会社の、昭和二五年二月以来日本石炭鉱業株式会社の昭和二〇年一二月以来近江観光株式会社の各監査役であり、木下右門は弥三郎の六男であり、国際スケート株式会社、日本石炭鉱業株式会社、近江観光株式会社の株式の殆んどは原告、木下弥三郎及びその親族が所有していたこと、そのため右不動産の所有者らは必要なときは原告の債務のため右不動産を担保として提供する意思があつたことが認められる。

そこで、右不動産の価格であるが、鑑定人藤谷孝及び小野三郎の各鑑定の結果によれば、昭和二八年一〇月当時の、道頓堀土地(別紙第三表1ないし4の土地)の価格は六二〇〇万円、四条丸玉土地(同表9、10、12、13の土地)及び京都333土地(同表32、33、35、36の土地)の価格はあわせて七八五七万五六八二円と認められ、原告主張に<証拠略>の結果は右鑑定と対比して信用することができず、他に右土地価格が右認定額を超えるものと認めるに足る証拠は存しない。

右認定以外の別紙第三表記載の不動産(同表26アイスパレス建物を除く)の価格が、原告主張のとおりであるとする<証拠略>は信用することができず、少なくとも右不動産価格が原告主張の額(計一億八一〇四万八〇〇〇円)の二九・一七パーセント(右道頓堀、四条丸玉及び京都383土地価格についての本判決認定額の原告主張額に対する割合)の額、即ち五二八一万一七〇一円を超えるものとは本件全証拠によるも認めることができない。

最後、別紙第三表26のアイスパレス建物の価格について判断する。<証拠略>によれば、右アイスパレス建物は国際スケート株式会社が株式会社大林組に請負建築させたものであるが、昭和二八年一〇月の時点で請負契約がされていた分の請負代金は一億二一〇〇万円であつて、この分の工事は殆んど完成していたことが認められる。しかし、他方、<証拠略>によれば、右建物の敷地は国際スケート株式会社の所有ではなく宗教法人大雲院の所有であること、右会社は大雲院より右敷地を一〇年間使用することを認められていたが、その使用権限を大雲院の承諾なく他に譲渡することは禁じられていたこと、同会社は右敷地使用の対価として、建築費一五三〇万円を要する仏教会館を建築して大雲院に寄付し、かつ、右アイスパレス建物は竣工後一〇年経過時に大雲院に無償譲渡し、その間右建物を他に譲渡しないことを確約していたことが認められる。右アイスパレス建物敷地の使用権限は他に譲渡することを禁止されていたことは右認定のとおりであり、大雲院が使用権限の譲渡転貸の承諾、新たな権限付与をしたであろうことも認められないから、右建物が譲渡又は競落されても譲受人、競落人は土地使用権限を取得できず建物を取毀す外はないのであつて、このような建物に建築価格相当の交換価値又は幾分かの交換価値があるものとは本件全証拠によるも認めることはできない。もつとも、右認定事実、<証拠略>によれば、国際スケート株式会社や原告は右アイスパレス建物でアイススケート営業をする予定であつて高松宮殿下を招いて開場式を行うなどスケート場営業に大きい期待をかけ、経済的にも建物竣工後一〇年間にアイスパレス建物及び仏教会館建築費を回収できると当初は考えていたことが認められ、このことはアイスパレス建物への抵当権実行回避、被担保債権弁済への心理的強制として右建物が担保とされれば被担保債権の実質上の担保力を高めることも考えられないではない。しかし右のような実質上の担保力はその性格上不確実なものである上、<証拠略>によれば、国際スケート株式会社及び原告が当初予期していたところとは異なり京都市内に別のスケート場が開場されることが昭和二八年三月頃に公表されアイスパレス建物におけるスケート場営業に悪い影響が見込まれるに至つていたことが認められることも考慮すると、右アイスパレス建物に評価できる程の担保価値があつたものとは本件全証拠によつても認めることはできない。

以上判断のとおり、原告その他の者が所有する別紙第三表記載の不動産の昭和二八年一〇月当時の交換価値は次の通りとなる。

道頓堀土地(同表1ないし4の土地) 六二、〇〇〇、〇〇〇円

四条丸玉及び京都333土地(同表9、10、12、13、32、33、35、36の土地) 七八、五七五、六八二円

アイスパレス建物(同表26の建物) 〇円

その他の土地建物 五二、八一一、七〇一円以下

以上計 一九三、三八七、三八三円以下

ところで金融機関が不動産を担保として貸付けをする場合、この当時、特に事情がない限り、担保不動産の価格の六〇パーセントの額が貸付額になる程度の担保不動産を要求するのが通常であり、原告の取引銀行であつた幸福相互銀行においてもこのような担保力を重視していたことは、<証拠略>及び弁論の全趣旨により認められるところ、前記不動産価格計一九三、三八七、三八三円の六〇パーセントは計算上一一六、〇三二、四二九円となる。

他方右不動産に設定されていた根抵当権の債権極度額は、債権者幸福相互銀行分が一億円、その他の債権者の分が一七二〇万円であることは前記認定のとおりであつて、実債権額がこれより低かつたことの立証もないから右極度額の債権があつたものと推認される。そうするとこれだけで既に前記不動産価格の六〇パーセントの額を超え、新たな借入れを受ける担保余力がなかつたものと言える。なお、そのほか、<証拠略>によれば、株式会社大林組は昭和二八年一〇月当時アイスパレス建物建築請負代金債権二一〇〇万円につき右建物につき不動産工事の先取特権を有していたことが認められる。

原告は本件土地上に建築を予定していた建物を担保として資金を借入れることも可能であつたと主張する。しかし、不動産担保貸付にあたつては担保不動産価格の六〇パーセント相当分の貸付しかされないことは前認定のとおりであるから、建築予定建物を担保として必要資金全額を借入れることは不可能であるし、そのうえレジヤー用ビルにあつては建物本体建設費のほかに相当額の付帯工事費を要することは弁論の全趣旨により明らかであるから、建築予定建物は必要資金借入れの担保としては不充分という外はない。

もつとも、金融機関としては担保が不充分であつても、借受人の資力、将来の収益見込、特に貸付金で建築される建物における収益見込が優良であれば貸付けを実施することもあろうからこの点について検討しておく。

第一に、原告の昭和二八年八月末、昭和二九年八月末及び昭和三〇年二月末の純資産が別紙第二表記載のとおりであることは前認定のとおりである。しかし、原告の資産の中には国際スケート株式会社、近江観光株式会社、日本石炭鉱業株式会社(これら会社と原告との関係については前記認定参照)への貸付金が多額に含まれていることは前認定(右図表参照)のとおりであるところ、これらの会社の資産状態を明らかにする証拠はない(なお、国際スケート株式会社の資産状態の一部及びこれら三社と原告が合併した後の資産状態については後記認定参照)から、原告の純資産が実質的に同表認定のとおり存したと速断することはできない。

第二に、国際スケート株式会社は昭和二八年一〇月以降にもアイスパレス建物の追加建築工事代金四五九五万円相当分、その付帯電気等工事代金約七〇〇〇万円相当分、宗教法人大雲院に寄付を約束している仏教会館の新築工事代金一五三〇万円相当分を予定していたが、そのために必要な代金の支払いは一部分原告からの借入れによるほかは幸福相互銀行から原告らと連帯して借入れる資金で充てる予定をしていたことは、<証拠略>により認めることができる。右のような借入、建築、寄付が行われれば、原告、国際スケート株式会社の債務は増加し原告の資金は減少するのに対し、資産の方では仏教会館は国際スケート株式会社の財産でなくなり、アイスパレス建物は交換価値としては高く評価できないことは前判断のとおりであり、特に付帯工事分について特にその価値は低いものと言えるから、国際スケート株式会社、及び原告の資産、担保価値についてはこの点で状況が悪くなるものと見込まれていたというべきである。

第三に、アイスパレス建物における収益見込であるが、<証拠略>によれば、国際スケート株式会社、原告、木下弥三郎、木下一郎その他の関係者はそれ迄にスケート場を経営した経験はなかつたこと、原告が国際スケート株式会社を設立してスケート場経営をすることを決意した当時には京都市内には他にアイススケート場は存せず営業開始される見込もなかつたのであるが、昭和二八年三月京都市内の京都勧業館にスケート場が経営される予定であることが公表され、同年九月一一日キヨートアリーチの名でアイススケート場が開場されたこと、アイスパレス建物においては同年九月二五日にスケート場が開場し経営が開始されたが、入場客は当初予測した程ではなかつたことが認められる。アイスパレス建物におけるアイススケート場経営は国際スケート株式会社と原告が大きい期待をかけ、多大の資金、借入金を投入して開始した(これらの点については前認定参照)ものであるが、昭和二八年一〇月の時点においてはこの未経験の営業が成功するとは見極められておらず、かえつて京都市内に予期していなかつた同一営業者が出現し、入場客も予測ほどでなかつたのであるから幸福相互銀行その他の金融機関としてはこの多額の投資のされた営業の見通しをつけないままで、更に新しい営業のために一億円以上の貸付けをするについては慎重にならざるを得なかつたものと推測される。

第四に、建築予定建物の利用による収益見込についてみるに、原告がビルを建築するとすればその資金の殆んどを借入れに頼らざるを得ないことは前判断のとおりであるが、原告が借入先として主張する幸福相互銀行のこの当時の貸出金利は日歩六銭(年二一・九パーセント)を超えていたことは証人背尾忠雄の証言(第一回)原告代表者木下弥三郎本人尋問の結果(第二回)により認められるから、本件土地上の建物の建築費が原告の主張する通り一億二六四〇万円で足りるとしてもその金利負担は年に二七六八万円に達し、このほかに固定経費として建物減価償却費、固定資産税を要する訳であり、本件全証拠によるもこれらを支出してなお利益を挙げるだけの収入が相当程度の確実性をもつて予測されていたものとは認めることができない。原告が営業を予定していたと主張する芸術喫茶、アートクラブ、貸スタジオの営業は当時未だ我国で例がなく、勿論成功した例もなかつたことは原告代表者木下一郎本人尋問の結果(第二回)により認められるところであつて、この成功が相当程度確実であつたものとは認めることもできない。またパチンコ営業についてみても、原告が昭和二七年九月より昭和三〇年二月迄の二年六月間に本件土地上の従前の建物内でパチンコ機械五二一台を用いてパチンコ営業をして挙げた利益は計八、一五八、六七四円、即ち一年当り三、二六三、四六九円、一年一台当り六、二六三円であることは、<証拠略>及び弁論の全趣旨により認められるところ、本件土地上に原告主張の建物を建築してそこで営業した場合右の利益を大きく上廻る利益が当時に予測されていたと認めるに足る証拠は存しない(もつとも現実には昭和三〇年に原告が国際スケート株式会社に合併されて以来右利益が急増していることは<証拠略>により認められるが、これが昭和二八年一〇月当時に予測できたものと認めることは本件全証拠によつてもできない)。

第五に、幸福相互銀行が原告にレジヤービル建設のための資金を貸付けるについては当時次の二つの制約があつた。まず、金融緊急措置令(昭和二一年勅令第八三号)六条、金融緊急措置令施行規則(昭和二一年大蔵省令第一二号)一三条二項、金融機関資金融通準則(昭和二二年大蔵省告示第三七号)第一、第二、別表第六、一(四)は、銀行は事業設備資金の融通に当つてはその優先順位表に定める基準の順位を厳守せねばならず、娯楽興業に関する事業は順位表の最下位の丙種であつてこれに対しては資金の供給を差当り差控えなければならないものとしていた。更に、昭和四八年法律第四二号による改正前の相互銀行法(昭和二六年法律第一九九号)一〇条は、「相互銀行は同一人に対する二条一項一号の契約に基いて給付した金額から既に受け入れた掛金額を控除した金額と貸付(手形の割引を含む)の金額との合計額が、その資本及び準備金(利益準備金、資本準備金その他株主勘定に属する準備金をいう)の合計額の百分の十に相当する金額を超えることとなるときは、当該人に対し給付又は貸付をしてはならない。」と規定していたが、昭和二八年下期における幸福相互銀行の資本及び準備金は一億一一六三円であつたことが乙第三三号証の二により認められるから、原告に給付、貸付できる最高限度額は一一一六万円であつたことになる。ところで、原告は昭和二八年一〇月当時幸福相互銀行より単独で一〇〇〇万円、国際スケート株式会社など八名と連帯して計九〇〇〇万円を借入れていたことは前認定のとおりであるから、幸福相互銀行が原告にこれ以上に貸付けをすることは相互銀行法一〇条により許されないところであつた訳である。もつとも、<証拠略>によれば、幸福相互銀行は右の金融緊急措置令、相互銀行法の規定を厳守していなかつたことが認められ、右の一〇〇〇万円、九〇〇〇万円の貸付自体右規定に反するのであるが、右貸付には前認定のとおり一応充分な担保があつたのに対し、本件土地上のレジヤービル建設資金のための融資には充分な担保が存しないから、このような際に貸付を行うかの決定に当つては右法令の規定は貸付を差控える方向に影響を与えない訳ではないと推測されるのである。

右の諸点をも考慮すると、本件全証拠によつても、本件土地上にレジヤービルを建設するに必要な資金を幸福相互銀行その他の金融機関から借受け、あるいはその他の方法によつて調達することができたものと認めることができない。<証拠略>のうち右の点に関する部分は信用することができない。

七 昭和二八年以降におけるビル新築の可能性

昭和二八年一〇月以降に原告のビル建築資金調達能力が向上したかについて判断する。

<証拠略>によれば、国際スケート株式会社は昭和二八年一〇月以降もアイスパレス建物の建築、スケート場として必要な付帯工事、大雲院仏教会館の建築を続行し、昭和二九年一月ころに完成させ、仏教会館は宗教法人大雲院に寄付したこと、これらの工事に要した費用の合計は、アイスパレス建物分一億六六九五万円、付帯工事分七〇〇〇万円、仏教会館分一五三〇万円であつたが、これらのうち資本金三〇〇万円からの支出を除いては、原告からの借入金(昭和二九年八月末における原告からの借入金金額は六七七一万〇八二四円にのぼつた)、及び原告ら八名と連帯しての幸福相互銀行からの借入金によつてまかなわれたことが認められる。このように原告、国際スケート株式会社の負債が増加し、他方、資産の方は要した費用ほどには増加しないことは前判断のとおりであつて、この事実は原告の借入能力を低下させるものである。

<証拠略>によると、原告は幸福相互銀行より借受けた金員の弁済又は相互掛金契約の掛金の支払を昭和三〇年一一月以降怠り、この間に紛争が生じ、右銀行は右の債権担保のため別紙第三表1ないし11、14ないし26の不動産にされていた代物弁済予約を完結し、原告その他不動産所有者に対し右不動産の所有権移転登記を求める訴訟を提起したこと、右訴訟について昭和三二年三月二九日当事者間に和解が成立し、原告らは右不動産を代金四億円で買戻しその代金を一〇年間に月賦弁済する旨を約するに至つたことが認められる。右のように原告と幸福相互銀行との間に紛争の係属していた昭和三〇年一一月より同三二年三月迄の間は幸福相互銀行は原告に新たな融資をする可能性はなかつたものと推認されるし、他の金融機関も右の不動産を担保として融資することはなかつたものと推認される。

<証拠略>によれば、国際スケート株式会社は昭和二八年九月にアイスパレス建物でスケート場営業を始めたものの当初の予測とは全く異なり顧客が少なく多額の損失を生じたこと、このため原告(請求原因1(一)の原告を吸収合併した国際スケート株式会社が商号変更した請求原因1(三)の会社)は昭和三〇年七月にはスケート場経営を取止め多額の資金を投じて右建物を改造して映画館営業を始めたが毎年多額の欠損を出したこと、右アイスパレス建物では右のほか昭和三〇年二月より喫茶店ラテンクオター、昭和三二年一二月より歌声ホール炎の営業も行われたこと、原告の昭和二七年九月より昭和三三年九月まで毎期の損益、そのうちアイスパレス建物における営業の損益、各期末の純資金は別紙第四表に記載のとおりであることが認められる。右の認定のように、原告が期待を持つて開始したスケート場営業は全くの失敗に終り、多額の資金を投下したアイスパレス建物での営業はその後も毎期損失を出し、昭和二八年八月には五〇六八万円の純資産があつたのに合併直後の昭和三〇年九月には五五二四万円債務超過に至りその後も債務超過の状態が解消されてはいないのであつて、原告の資産状況は昭和二八年一〇月当時に比して著しく悪化しているのである。昭和三三年九月以降後記認定のアイスパレス売却代金受領迄の間についてはその資産状況を具体的に明らかにすることはできず、資産状況が好転したことを認めるに足る証拠も存しない。

更に、<証拠略>によれば、原告は昭和三二年三月に大津市茶ヶ崎八番地四に鉄筋コンクリート造地下一階付四階建店舗延二〇四五平方メートルを建築し、昭和三二年に宗教法人大雲院より京都市下京区寺町通四条下ル貞安前之町六一四番の七宅地三八九一・九九平方メートル(前記アイスパレス建物の敷地)を代金五〇〇〇万円で買受け、昭和三五年までに代金を分割して弁済したことが認められる。原告は現に建築、買受その他の営業活動をしたことのほかに本件土地上にレジヤービルを建築する資力があつたと主張するのであるが、右のような建築、買受けに資金を支出したことは、その余の点に支払すべき資金、借入能力を低下させるものである。

右の事実によると、原告の資産状況は昭和二八年一〇月当時に比して後記アイスパレス売却代金受領迄の間は悪化したものということができ、昭和二八年一〇月よりアイスパレス売却迄の間に資産状況が好転したとか、本件土地上にレジヤービルを建築するための資金を調達することができたとかは本件全証拠によつても認めることができない。

以上の通り、原告は昭和二八年一〇月以降後記認定のアイスパレス売却代金受領の昭和三六年六月三〇日迄の間は本件土地上に主張のレジヤービルを建築する資金を調達できたものとは認められないから、ビル建築を前提とする原告の損害(請求原因6(一)(二)(三))の主張は右期間の部分については他の争点について判断する迄もなく理由がない。

八 昭和三六年以降におけるビル新築の可能性

<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。

1 原告は昭和三六年五月一四日北野土地株式会社に前記アイスパレス建物及びその敷地を代金三億二〇〇〇万円で売却する契約をし、同年六月三〇日その代金を受領し同年七月三一日右不動産の引渡をした。

2 原告は前訴確定(昭和三八年三月一九日)後直ちにビル新築のための準備を始めて、昭和三八年八月に本件土地上に鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下二階付九階建建物延五八二三平方メートル(一七六一・五五坪)を建築させることを伊藤忠商事株式会社との間で契約できるに至つた。右契約では建築請負代金は追加工事分を含めて三億九六〇七万一四九〇円とし、その三割については着工日より、その七割については竣工日より日歩二銭七厘の利息を付したうえ昭和三九年八月三一日より昭和四二年七月三一日迄の三年間に分割して支払う旨が約された。本件土地上の旧建物は昭和三八年八月始めに取毀しが始まり新ビルは昭和三九年七月に完成して同年七月一五日そこでボーリング営業が始められた。

前記認定のとおり、原告はアイスパレス建物を計二億五二二五万円(寄付した仏教会館の建設費を含む、その他に敷地に五〇〇〇万円)の巨額を支出して取得したものであるが、ここでのスケート場営業は失敗に終りその後の映画館営業でも多額の損失を出しそのため原告が他の営業で挙げた利益を帳消しにして原告の資産状況を好転させない最大の原因となつていたものである。ところが、右認定のとおり原告がアイスパレス建物及び敷地を売却したことは将来には右建物における営業損失を消滅させることになつた点で原告の将来の収益見込を大きく好転させるのみならず、右三億二〇〇〇万円の建物土地売却代金を受領したことは原告の資金繰りを自由にし、金利負担を軽くしたものといえる。そして、前訴判決確定の五ヶ月後には本件土地上に四億円近い資金を要する建物の建築に着手していることを考え併せると、右代金受領の昭和三六年六月三〇日の時点で、原告は、その主張の程度の建物を本件土地上に建築する資金的能力を有するに至り、この時点で原告はそのような建物を建築する意思もあつたものと推認される。この判断を覆すに足る証拠はない。

そして、右2認定の事実及びビルの構造よりすると、原告は昭和三六年六月三〇日に代金を受領して資金的に建築が可能となつた場合、準備期間を必要として昭和三六年一二月一日旧建物取毀、新ビル建築に着手し、昭和三七年一一月一五日には本件土地上に原告主張のとおりの地下一階地上八階鉄筋コンクリート造建物を新築し利用を開始することができたものと推認される。右認定を覆すに足る証拠は存しない。

九 新築予定ビル利用利益喪失の損害

昭和三七年一一月一五日以降利用可能であつた新築予定ビル利用による利益の喪失の損害について判断する。

(一) 新築予定ビルを営業に利用して得べかりし利益の喪失による損害(請求原因6(一))について

まず従前の建物、土地利用による営業利益であるが、<証拠略>によれば、原告は本件土地上の建物において昭和三七年九月までは自らパチンコ営業を行い、昭和三七年一〇月以降は株式会社丸玉に右建物を、昭和三九年に本件土地上に新しい建物が完成した後は新建物の一部を、いずれも賃料年二四〇〇万円で賃貸し、株式会社丸玉はここでパチンコ営業を行い、原告、株式会社丸玉は別紙第五表記載のとおり利益を挙げたこと、原告は昭和三六年九月一八日以降本件土地のうち本件コンクリート残存物件の西側の道頓堀通に面した部分にてイタリアンスナツク・ピツコロを開業して利益(額不明)を挙げたこと、右の株式会社丸玉は設立昭和三七年七月二〇日、本店京都市下京区四条通河原町西入御旅町四〇番地の会社で請求原因1(一)(三)の同名の会社とは別個の会社であるが、取締役は木下弥三郎、木下一郎、木下ハキヱらであり、株主は原告の株主と同じであつて、原告と利害も同じくするものであつたことが認められる。このように、原告は本件土地上に新しいビルを建築しないままの状態で利用して、昭和三七年一〇月一日から昭和三九年七月一五日迄の間も、年間二四〇〇万円の割合の賃料を収受し(もつとも、このうちより固定資産税、都市計画税、管理費等の支出を要するか)、かつ、ピツコロの営業による利益を挙げており、そのほかに株式会社丸玉の右利益も実質上原告に帰属するとも言えるのである。

次に、本件土地上に原告主張のようなビルを建築利用する場合に、従前以上に要する経費について判断する。第一に、ビルに対する固定資産税、都市計画税である。鑑定人森井徹の鑑定結果によれば、本件土地付近の建物については建築価格の約六〇パーセントが固定資産税、都市計画税の課税標準とされていたことが認められ、昭和三七年一一月一五日完成予定で本件新築予定ビルを建築するときの建築価格は一億八二四〇万円であることは後記認定の通りであり、昭和三六年ないし三九年における固定資産税率は一・四パーセント、都市計画税率が〇・二パーセントであるから、右新築予定ビルの右税は各年とも計二九一万八四〇〇円ということになる。これに対し、本件土地上に現に存していた建物に対する右税は昭和三六年度八万五三〇〇円、昭和三七年度二〇万七五四〇円であることは鑑定人森井徹の鑑定の結果により認められる。

第二に減価償却費であるが、新築予定ビルの建築費は後記認定のとおり一億八二四〇万円であり、鑑定人木口嘉勝の鑑定の結果によればそのうち本件建築費が六八パーセントの一億二四〇三万二〇〇〇円、冷暖房、昇降機、給排水、電気等の設備費が三二パーセントの五八三六万八〇〇〇円であることが認められ、弁論の全趣旨によれば建物本体については年二パーセント、設備については年六・七パーセントの減価償却費を要することが認められるから、必要とする減価償却費は年六三九万一二九六円ということになる。

第三が建物建築費に対する利子である。原告が昭和三六年六月に三億二〇〇〇万円の売買代金を受領したことは前認定のとおりであるが、<証拠略>によれば、原告は、昭和三六年九月本件土地上にイタリアンスナツク・ピツコロの、昭和三七年一月京都市御池通にテラス喫茶シヤンゼリゼの、昭和三七年一一月大津市に紅葉館ボーリング場の、昭和三七年一二月京都市に丸玉観光ビルの、昭和三八年一月大津市にホテル紅葉の、昭和三八年七月には大津市に紅葉荘水中ステレオプールの、営業を開始したが、これらの開業のために必要とした金額は右売買代金額を超えるものであつたこと、原告は昭和三七年一一月日本興業銀行より五〇〇〇万円を利息年八・七パーセントで借受けて昭和四〇年一二月完済し、昭和三七年一一月商工組合中央金庫より七〇〇〇万円を利息年九・六パーセントで借受けて昭和四三年六月完済し、昭和三七年一二月朝日麦酒株式会社より金五〇〇〇万円を借受けて昭和四一年一二月完済し、昭和三八年七月日本興業銀行より五〇〇〇万円を利息年八・七パーセントで借受けて昭和四〇年一二月完済したことが認められ、原告が昭和三九年完成の前記ビル建築代金は日歩二銭七厘(年九・八五五パーセント)の金利を付して三年間で分割弁済することとしたことは前記認定のとおりである。右のように前記のアイスパレス売却代金を超える額が新しい営業のために投下されているのであつて、しかも右のとおり金利を支払つて借入をしたことは、資金が他に投入されている等して手持の資金を有しなかつたもので、本件土地上に予定しているビルの建設資金も借入に頼らざるを得なかつたと推認されるのである。そうすると、借入の利息として少なくとも右認定の金利の最低である年八・七パーセントの額を支払わねばならぬものと推認されるし、仮に一部(その額が右の既借入額を超えるものとは認められない)を自己資金でまかなうことができたとしても、それにより借入金を弁済して年八・七パーセントの金利の負担を免れることができなくなる筈であるから、原告のビル建築費一億八二四〇万円については年八・七パーセントの金額を金利又は失うべき利益として考慮すべきである。

新築予定ビルにおける原告の営業利益について判断する。原告は、パチンコ、芸術喫茶、アートクラブ、貸スタジオ、ギヤラリー(請求原因6(一)(1)、第一次計画)、洋酒喫茶(請求原因6(一)(2)、第二次計画)、一般的なレジヤー営業(請求原因6(一)(3))による利益を主張している。しかし本件全証拠によるもこれらの営業による利益が右判断の建築費利息、減価償却費、固定資産税、都市計画税を負担してなお右ビルを建築しないままでの本件土地上での営業利益を上廻る営業利益を挙げることができたことを認めることはできない。原告の主張する営業項目ごとにその理由の主要な点を説明することとする。

第一にパチンコ営業であるが、原告は新築予定ビルでは四三八台のパチンコ機械を利用して営業する予定であつたと主張し、その営業利益を従前建物におけるパチンコ機械一台当りの平均利益額に四三八台を乗じて計算している。しかしながら、<証拠略>によれば、同一場所におけるパチンコ営業のパチンコ機械一台当りの利益は機械が増加すると減少するのが例であること、現に本件土地上の従前の建物及び昭和三九年新築建物におけるパチンコ営業においても同様であり、原告は昭和三一年一〇月に使用のパチンコ機械を五二一台から二七七台に、株式会社丸玉は昭和四〇年二月に四〇三台から二六六台に減少させていることが認められるのであつて、原告主張のような方法で四三八台の機械による営業利益を計算することはできない。

第二に、芸術喫茶、アートクラブ、貸スタジオ営業であるが、原告は芸術喫茶とは一般客にヌードモデルのデツサン又は撮影の場を与える喫茶店であり、アートクラブとは芸術愛好者を対象としたクラブの雰囲気をも持つた芸術喫茶であつて有名画伯を特別会員として加え酒類も提供するものであり、貸スタジオとは画学生など更に高度の絵画愛好家を対象とした階段式スタジオであると主張している。しかし、昭和三七年ないし三九年に右のような営業が繁華街において行われ成功した例があつたとか、その見込があつたとかの事実は本件全証拠によるも認められない。

第三にギヤラリーであるが、原告は新築予定ビル五階の一部二七一・〇七平方メートルを利用してギヤラリー(貸画廊)を開設し、一日二万円、稼働率五〇パーセントとして一ヶ月三〇万円の収入を挙げることができたと主張している。しかし、<証拠略>によれば、本件土地付近は大衆を顧客とする飲食店、映画館等の多い場所であること、原告は画商、ギヤラリー経営の経験を全く有しないこと、大阪における著名な美術商、画廊の一つが経営していた貸画廊であつても昭和二九年から三〇年にかけての一年間に延五八日しか画廊を賃貸することができなかつたことが認められる。右事実によると、本件土地上の新築予定ビルが貸画廊として適切な場所であるのか、利用顧客があり主張のような稼働率を維持できるのか、原告にこれを営業する知識能力があるのかの点に疑問を持たざるを得ないのであつて、原告代表者木下一郎本人尋問の結果(第一ないし六回)その他本件全証拠によつても原告が主張のギヤラリーを経営して主張の利益を挙げることができたものと認めることができない。

第四に、洋酒喫茶による営業であるが、原告はその営業利益額を、原告が洋酒喫茶コンパで挙げた利益をその床面積(六〇七・四七平方メートル)で除した額に新築予定ビルの利用予定面積一二八四・五七平方メートルを乗じて算出主張している。しかし、<証拠略>によれば、右洋酒喫茶コンパは昭和三一年一二月以降原告が経営するものであるが、本件土地より約四〇〇メートル離れた御堂筋の道頓堀橋北詰付近に存することが認められるのであり、このような近い距離において右コンパの二倍にも当る一二八四平方メートルもの面積を利用して営業した場合同一比率での収益を挙げられるかは疑問である。その上、<証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、右コンパを営業している建物は原告が株式会社泉屋商店より賃借していたが、昭和三三年七月以降昭和三九年六月の間に支払つた家賃は毎月一七万円、即ち年二〇四万円であつたことが認められるところ、新築予定ビルで営業するとすれば右家賃に相当するものとしてビル建築費利息、ビル減価償却費、土地及び建物についての固定資産税、都市計画税の支出を要し、その額(営業単位面積当り)が右家賃額を上廻ることは計算上明らかである。

以上いずれの営業についても原告の主張するような高額の利益を挙げることが確実であつたものであれば、原告は本件差押が解除されない間であつても、本件土地付近に建物を賃借し又は本件土地のうち本件コンクリート残存物件の西側の道頓堀通に面した部分(ピツコロの営業をした部分)を利用して右主張のような営業をしている筈であるにも拘らず、原告代表者木下一郎本人尋問(第一回)の結果によればこれをしていないことが認められるのであつて、このことは右主張の利益が確実なものであつたとの主張を疑わせるものである。

以上の営業の利益の点について原告代表者木下一郎本人尋問の結果(第二回)その他原告申請の証拠は具体性を欠き、本件全証拠を検討しても、新築予定ビル建築費利息、減価償却費等の費用を支出して、なお、本件コンクリート残存物件が存するまま本件土地を利用したときの利益よりも、大きい営業利益を挙げることができたものと認めることができない。

第五に、一般的なレジヤー営業による利益であるが、原告はこれを、本件土地上の従前建物の一階で現に行つたパチンコ営業による利益を基礎としこれに新築予定ビル階数の八を乗じて算出し主張している。しかし一般的なレジヤー営業による利益がパチンコ営業による利益と同一であるとは本件全証拠によるも認められず、かえつて、<証拠略>によれば、原告は昭和三九年迄の間にパチンコ営業のほかにスケート場(アイスパレス)、映画館、洋酒喫茶、その他喫茶店、旅館、レストラン、ダンスホール等の経営をしたが、パチンコ、洋酒喫茶では比較的大きい収益を得たものの、スケート場、映画館では大きい損失を出し、ダンスホール、旅館でも時期により損失を出したことがあり、これら各営業内容により収益の差が著しく大きいことが認められるのであつて、一般的なレジヤー営業による利益がパチンコ営業による利益と同一とすることはできない。その上、同一場所においてパチンコ営業をした場合パチンコ機械一台当りの収益は機械が多くなると低下することは前判断のとおりであつて、本件土地上のビルの八階まで全部をパチンコ営業に利用したとき、本件土地の半分の面積でパチンコ営業をしたときと同一の割合による利益が得られるとは到底認めることができない。

以上のとおり、新築予定ビルが昭和三七年一一月に完成し原告がこれを利用して営業した場合、右ビルが建築されない場合を超える営業利益を挙げることができたものとは認められないから、原告の営業利益喪失の損害の主張(請求原因6(一)(1)(2)(3))はいずれも理由がない。

(二) 新築予定ビルを自家営業に使用して得べかりし利益の喪失による損害(請求原因6(二))について

原告は本件差押により新築予定ビルを自家営業に供するという利益を侵害されたものであり、この損害はビルの賃料相当額であると主張している。

ところで、鑑定人森井徹の鑑定の結果によれば、ビルの新規賃料は次の算式により算定されるのが通常であることが認められ、右新築予定ビルについてもこれが不相当であるとの証拠はない。ビル新規賃料=敷地価格×期待利廻+ビル再調達現価×期待利廻+ビル減価償却費+敷地・ビル固定資産税・都市計画税+管理費

右の方式により積算される各項目の費用のうち、固定資産税、都市計画税、管理費は現に支出を要するものであり、ビル減価償却費はビルの減耗(価値減少)に対応するものであるから、賃料のうちこれらの額に相当する部分はビル所有者(賃貸人)の利益となるものではない。そして、ビル新築費用につき年八・七パーセントの利息を経費として考慮すべきことは前記(一)に判断の通りであるところ、右賃料積算方式におけるビル再調達現価(これは建築完成予定日より二年未満である昭和三九年七月までは新築費用と一致するものと推認できる)に対する期待利廻が年八・七パーセントを超えるものとは鑑定人森井徹の鑑定の結果その他本件全証拠によるも認められないところである。そうすると、原告は新築予定ビルの利用により家賃相当額の利益を得ることができたとしても、他方そのうちより右の通り、固定資産税、都市計画税、管理費用、ビル再調達現価に対する利息の負担を要するから、残存するビル利用の利益は敷地価格に対する期待利廻額を超えるものではないと言うことができる。そして、右の敷地価格に対する期待利廻りは六パーセントであり、地代算定に際し用いられる土地価格に対する期待利廻りも同率であることは鑑定人藤谷孝及び森井徹の鑑定の結果により認められる。そうすると、原告の主張する新築予定ビルを自家営業に使用して得べかりし利益は、本件土地の地代相当額を超えるものではないから、請求原因6(二)の損害の判断は必要のある限度で請求原因6(四)の損害の判断の際に付加して行うこととする。

一〇 新築予定ビルの建築費の値上りによる損害

鑑定人木口嘉勝及び森井徹の鑑定の結果によれば、原告の主張するような鉄筋コンクリート造の新築予定ビルを昭和三八年八月に着工したときの建築費は一億八七八〇万円であること、大阪における鉄骨鉄筋コンクリート造事務所の標準建築費指数(昭和二五年を一〇〇とするもの)は昭和三六年(平均)が二二四・〇、昭和三八年(平均)が二三二・〇であることが認められる。右の事実によれば、右昭和三八年八月より一年八月前の昭和三六年一二月における右新築予定ビルの建築費は五四〇万円低い一億八二四〇万円で足りたものと推認することができる。そうすると、原告は本件差押により前記アイスパレス売買代金受領後に新築予定ビルの建築に着手できなかつたために五四〇万円多額の建築費を負担せねばならず、この額の損害を受けたものということができる。

なお、右の値上りはインフレに起因するものであつたとしても、我国においては昭和二〇年以降引続き一般物価が高くなって来ていたことは当裁判所に顕著であつて、建築費の右の程度の値上りは当然予測されたところというべきであるから、被告はこの損害の賠償を免れることができるものではない。

また、原告は右新築予定ビルの建築をしなかつたとすれば建築費に対する利息を免れ、あるいはその資金を他に運用して利益を挙げることができた筈であるが、原告が昭和三八年に三億九六〇七万一四九〇円を投じて本件土地上に建物を建築した旨の前記認定事実、<証拠略>により認められる昭和三〇年代には本件土地近隣で多くのレジヤー用ビルが相次いで建築された事実によれば、新築ビルの利用により建築費利息と必要な減価償却費等を負担するには足りる利益を挙げることはできたものと推認でき、この推認を覆すに足る証拠は存しないから、右の建築費利息、資金運用利益を右認定の損害より差引く必要はない。

一一 土地利用阻害による損害

最後に本件土地を更地として利用することを阻害された損害(請求原因6(四))について判断する。

鑑定人藤谷孝の鑑定の結果によれば、本件土地に本件差押等一切の制約がなくこの全体を自由に利用できたものと仮定したときの土地賃料相当額は別紙第六表に記載の通りであることが認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

他方、原告は本件土地を全く利用できなかつたものではなく、本件差押を受けた本件コンクリート残存物件を取毀さない制約を受けたままであれば本件土地を利用することができた訳であるから、右土地賃料額より右のような制約を受けた土地の利用価値(又は賃料)相当額を差引いた額が本件差押により受けた損害となる訳である。

原告は右のような制約のある本件土地を現に利用したことによる利益は、本件土地賃料相当額に、新築予定ビルの総床面積のうち現に存した建物の床面積の占める割合を乗じたものであると主張している。しかし、本件土地の最有効利用方法が原告主張のような新築予定ビルを建築使用することであるとしても、次の二点において原告の算定方法は不相当である。

第一に、本件差押により本件土地上の本件コンクリート残存物件を取毀すことのできない制約が課されたが、それ以外の利用上の制約はなかつたのであるから、右残存物件の敷地以外の本件土地についてはその地上建物を取毀し土地を自由に利用することができた訳であり、右残存物件もその利用自体は制約されてはいなかつたのである。従つて、本件差押当時に存した建物を利用する方法でしか本件土地を利用できなかつたことを前提とする原告の計算方法は不相当である。

第二に、ビルの賃料、利用価値は各階によつて同一ではなく、特にレジヤー用ビルにあつては一階の利用価値が大きいことは鑑定人森井徹の鑑定の結果により認められるから、単純に建物延面積の比率により算出する方法は相当なものと言うことはできない。

そこで、本件差押の制約を受けた本件土地の利用価値又は賃料相当額、本件差押による本件土地の利用価値の減少について判断する。本件土地の形状、本件コンクリート残存物件の位置形状、本件土地付近の状況、本件土地の最有効利用目的等は前記五1ないし3等に認定の通りである。

右認定事実のとおり、本件コンクリート残存物件が本件土地のうち道頓堀通に面した最も重要な部分を占拠しこの部分に顧客を誘引する新たなレジヤービルを建てることができないこと、本件土地のうち道頓堀通に面した間口で右残存物件の存しない部分は全間口の約三分の一に過ぎず、しかもその部分の奥行きは他の部分の約半分しかないこと、及び右残存物件は戦災を受けており、しかも特殊な構造のものであることは、右残存物件を取毀さないままでの本件土地の利用価値を著しく低くする事情である。そして、原告が前訴において勝訴して本件土地全部を利用できることになるか否かの見通しについて原告には幾分の不安があつたであつたであろうことは原告が前訴第一審で敗訴していること(この点は当事者間に争いがない)から推認できることであり、このことは本件土地の利用見通しを不明確なものとしてひいてはその利用価値を減ずるものである。

他方、本件土地のうち右残存物件の存する部分の面積は約二〇パーセントに過ぎず、その余の部分については全く自由にビルを建てる等をして利用することが可能であつて、道頓堀通を通行する顧客を相手とするビルとして右通に面する間口のうち約七・三メートルの部分にビルを建築することはできるし、右残存物件も取毀すことはできないにしてもその利用は全く差支えないのであるから、これを装飾する等をしてこれを通じてその後に建てるビルに顧客を誘引することもできた訳である。そして、原告が前訴において勝訴できなかつたとしても、原告は土地価格に比すればさして大きくない滞納税額(この額は後記一二に認定の通り)を納付することにより本件差押の解除を得、あるいは競落人に対し残存物件収去土地明渡を求めることにより(右競落人に土地使用権限が生ずると認めるに足る証拠はない)右残存物件を収去する最終的な手段は存していた訳であるから、このことは原告の土地利用見通しにつき決定的な不安はなかつたことを示している。

これらの事情を考慮すると、本件差押による本件土地の利用価値の減少は、本件土地の利用に制約のない場合の相当賃料額の五〇パーセントに当る額と認めるのが相当である。これ以上の額の利用価値の減少があつたものと認めるに足る証拠は存しない。

その具体的な損害額は、本件差押後である昭和二九年一月一日よりアイスパレス代金受領日の昭和三六年六月三〇日迄については、別紙第六表記載の相当賃料額の二分の一に当る額となる。

原告が右代金受領の時点では本件土地上にビル新築の意思と資金力を有していたこと、本件差押がなかつた場合、原告は準備期間を要して昭和三六年一二月一日には旧建物取毀、新ビル建設に着工し、昭和三七年一一月一五日これを完成させて利用を開始できたであろうこと、しかし現実には本件差押があつたため、原告は前訴判決確定後に準備期間を要して昭和三八年八月始めに旧建物取毀、新ビル建設に着工し、昭和三九年七月一五日これを完成させて利用開始できたにすぎないことは前認定の通りである。

そうすると、原告の昭和三六年七月一日以降の土地利用阻害又は新ビル建築利用阻害(前記九一一)の損害は次の(ア)の額(差押がなければ得られたであろう利益)から、(イ)の額(差押があつた状態で得た利益)を減じた額になる。

(ア) 昭和三六年七月一日から同年一一月末日迄の本件土地賃料相当額、及び昭和三七年一一月一五日から昭和三九年七月一四日迄の本件土地賃料相当額(昭和三六年一二月一日から昭和三七年一一月一四日迄は取毀建築期間であるので土地利用利益は生じない)

(イ) 昭和三六年七月一日から昭和三八年三月一八日迄の本件土地賃料相当額の半額、及び昭和三八年三月一九日より同年七月三一日迄の本件土地賃料相当額(昭和三八年八月一日から昭和三九年七月一四日迄は取毀建築期間中であるので土地利用利益は生じない)

右の損害を各年毎に計算すると別紙第六表の損害額欄に記載のとおり合計三九、七六三、二〇六円となり、これが本件差押により本件土地の利用を阻害されたことによる請求原因6(二)(四)の損害となる。原告がこれ以上の土地利用阻害による損害を受けたことを認めるに足る証拠はない。

被告は、原告が本件土地上で営業して得た利益を損害より差引くべきであると主張している。しかし、このような営業利益は本件差押の負担を負つた土地や建物の利用のみによつて生じたものではなく、原告の営業能力その他のものが加つて生じたものであり、他方認められた損害は本件土地の利用阻害によるものであるから、本件差押の制約をうけた本件土地利用のみによる利益を損害より差引けば足りるものである。被告の主張は理由がない。

一二 損害抑避義務

<証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、本件差押の滞納者であつた石川文彦及び石川シマは昭和二八年七月一三日当時に、相続税及び個人再評価税(法定納期限昭和二五年一一月一七日、納期限昭和二七年一〇月四日)計三五六万三二〇〇円、延滞加算税一七万八〇五〇円を滞納していたことが認められ、右相続税及び個人再評価税本税に対しては法定納期限後納付迄の間、昭和三〇年六月三〇日迄については日歩四銭、同年七月一日以降昭和三七年三月三一日迄の間については日歩三銭の割合の利子税を付帯して支払わねばならぬことになつていた。被告は原告が右税を第三者納付することにより差押の解除を得て損害の発生を容易に回避することができたにも拘らず、このような措置をとることなく損害が拡大するに任せていたから、損害の賠償を求めることができないと主張する。

しかし、石川文彦及び石川シマが他に財産を有していなかつたことは証人浅田孝一の証言により認められるから、原告が右税を第三者納付しても石川文彦及び石川シマより償還を受けることは不可能であり、しかも同人らの租税債務が存していた以上国よりその納付税額の返還を求めることもできないの当然である。また、原告としては前訴で勝訴できるかについて不安を持つていたことは前認定のとおりであり、第三者納付税額を国家賠償を理由として回収しようとしても故意過失、第三者納付の必要性等の判断が更に加わる点で、なお更、回収見込が不明確であつた筈である。このように回収見込の不明確さの危険をおかしてまで昭和二八、九年当時の原告の一年分の所得(別紙第四表参照)をも上廻る多額の第三者納付をしておかなければ、違法な行為につき責任のある国に対し損害の賠償を求めることができないと解することは相当ではない。被告のこの点の主張は理由がない。

一三 結論

以上判断の通り、原告の本件請求は、請求原因6(三)の損害五四〇万円、及び請求原因6(二)(四)の損害三九七六万三二〇六円の合計四五一六万三二〇六円、並びにこれに対し不法行為及び損害発生後の昭和四一年三月二〇日から右支払まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり認容すべきであるが、その余は理由がなく棄却すべきである。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言及び仮執行免脱宣言につき同法一九六条一項、三項を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石川恭 井関正裕 春日通良)

第一目録

大阪市南区西櫓町二番地の一

宅地 五六坪三合五勺

同町二番地の二

宅地 五一坪四合五勺

同町二番地の丙

宅地 九七坪二勺

同町二番地の丁

宅地 三六坪一合三勺

第二目録

第一目録記載の土地上

家屋番号同町第二番の二

木造トタン葺平家建ダンスホール 一棟

建坪 九三坪二合五勺

附属建物

木造トタン葺平家建物受付事務所 一棟

建坪 三坪七合五勺

木造トタン葺平家建重油庫

建坪 一二坪

木造トタン葺平家建大工物置

建坪 二坪二合

第三目録

木造(一部鉄筋コンクリート造)トタン葺四階建店舗

建坪 一七八坪一合七勺

二階坪 五六坪四合二勺

三階坪 二三坪九合二勺

四階坪 四六坪五合

第四目録

第一目録記載の土地上

家屋番号同町第二番

鉄筋コンクリート造三階建店舗一棟

建坪   四一坪二合

外二階坪 七坪八勺

外三階坪 二坪七合八勺

第五目録

第一目録記載の土地上

鉄筋コンクリート造タイル張三階建食堂一棟

建坪   四六坪五合二勺

外二階坪 八坪七合三勺

外三階坪 五坪一合五勺

地下室  二八坪五合八勺

第一表ないし第六表<略>

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